ケンカしてこそ道は開く!

「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」を主宰する“過激な仕掛け人”新間寿独占インタビュー!
幻の「8・26夢のオールスター戦」の上映決定!

(取材・文:安田拡了)




10・7「昭和の新日本プロレスが蘇る日」(後楽園ホール)が間近に迫ってきた。すでに催しの内容が発表されているが、昭和の新日本プロレスをアントニオ猪木とともに作り出してきた新間寿元祖仕掛け人が実行委員長だけに当日はさらに何が飛び出すかわからない。と、思っていたら、今回の取材で早くもビックサプライズが飛び出した! なんと「三団体夢のオールスター戦(1979年8月26日、日本武道館)を上映する!」(新間)というのだ。このオールスター戦の試合映像は当時テレビ局がニュース扱いのみだったためにお蔵入りしており、いまだに試合映像は世に出回っていない。私も死ぬまでに絶対見ておきたかった。そのお宝映像(テレビ局の映像ではない)が見られるのだから、私個人としても10・7「昭和の新日本プロレスが蘇る日」はすごい日となった。イベントの内容は名勝負の上映会、トークバトル、交流イベント、お宝展示などだが、あらためて新間寿実行委員長に昭和の新日本プロレスへの熱い思い、そして今回、上映することになった「8・26夢のオールスター戦」や「アリvs猪木」のシリアスな舞台裏などを語ってもらった。これまで何度もインタビューしてきたが、つくづく思う。いざという時、喧嘩できる人間こそが道を開くことができるし、喧嘩とは情熱と信念を持つ人間力なんだということが、10・7で証明されることだろう。

●アリvs猪木戦のお宝展示品は新間寿の夢のかたまりだ
お宝展示品は興行ポスター、伝説のベルト、トロフィーなどのほか、アリvs猪木戦に関するものが多い。それだけあの「アリvs猪木戦」の新間の思いは誰よりも強いということだ。当時、誰もが実現なんて無理だと思っていたことを、やり遂げたのだのだから。それらの展示品は新間寿の夢のかたまりだ。

「アリvs猪木戦実現に動いた時、私は41歳でしたよ。いま81歳。私の気力を奮い立たせるものは過去にあると思った。奮い立たせるもの。それが不可能と言われ、みんなに馬鹿にされた「アリvs猪木戦の実現」だった。我、いまだに戦場にありという気持ちですよ。そして、ヨーシ、あの凄い時代を過ごした時のことを一緒に楽しんでもらって、元気をもらいにきてくれという気持ちで「昭和の新日本プロレスが蘇る日」をやろうと思ったんだ。
 それにしてもよく喧嘩してきたよ。来日したアリに、日本のボクシング記者たちは騒然とした。なぜならボクシング記者たちは『われわれの世界で崇高なチャンピオンがなぜプロレスのリングに上がるんだ』という気持ちがあったからだよ。ボクシング記者クラブというのがあって、私はそこと対決した。というのは、試合当日の仕切りはどの社がやるんだということになった。私は朝日、読売、毎日がボクシングの幹事社かなんだか知らないけど自分たちに取材席の仕切りを任せててほしい、と言ってきた時に、心の中で『ふざけんじゃない。うちの幹事会社は東京スポーツだ』といって拒否してやったよ。彼らは『ボクシングの世界王者がくるのになんで東京スポーツが仕切るんだ』と抗議してきたけどね。だから『これまでプロレスをバカにしたり、記事も書いてこなかったマスコミに、どうして我々の大会の仕切りをお願いしなきゃいけないんだ』と答えたんだ。
 そのしっぺ返しが試合の翌日の新聞。世紀の凡戦と書かれたんだ。あのルールの中での闘い。言われなき批判だった。
 だから、あの試合が終わった時の無力感ったらなかったね。新聞記事と頭の中はどうやったら借金(残金120万ドル)を返せるんだと途方に暮れたよ。やったんだ、やり遂げたんだという達成感はなかった。今頃になって、あの試合は凄かったなんて言われているけど、ふざけんじゃないよ。どうして、あの時に言ってくれなかったんだと思うよ。すごい試合だったと一言でも言ってくれれば、あの無力感の中でどれだけ救われたか。
 しかしね、その後、私は『当初の約束とは違う』と残金の120万ドルをアリ側に支払わなかった。アリ側には180万ドルを手付金として支払って、あとで120万ドルを支払う予定だった。しかし、アリ側の無法なルールチェンジに頭に来てましたからね。もう腹をくくって『ヨーシ、残りのギャラを払う必要はない。裁判によって決着をつけよう』と決心したんだ。
 もともと「猪木はプロレスのルールにしたがい、アリはボクシングのルールにしたがい、お互いのルールを尊重しあった、総合ルールを作り上げよう」というところからスタートして契約をしたんだ。それで180万ドルの手付金を支払ったわけだからね。
 私は『ルールが無法にも前日に変えられてしまって、ウチとすれば試合をどうしてもやらなきゃならないために、そのルールを飲まざるを得なかった。だから、猪木はああいう闘いしかやりようがなかった。しかるに翌日の新聞は猪木を酷評。おかげで、その後、客の入りも激減し、興行に大きな損失があった』としてウチは東京地裁に2億円の損害賠償の民事訴訟を起こしたんだよ。

 喧嘩? うん、これも喧嘩だよ。というよりも相手の理不尽に体当たりしただけですよ。
 するとアリ側は、すばやく3千万ドルの契約不履行訴訟を起こした。それとテレビ朝日のニューヨーク支局にも差し押さえ要求をしてきた。しかし、1年ほど経つと、どんどんドル安円高になってきた。310円だったのが、200円台になってきた。  しかし、こうなってくると支払うとしてももっと安くなってから払えばいいじゃないかとなってくる。だから『慌てて和解する必要はない』と弁護士に言われてね。
 ちょうど話し合いのいい頃合いになってきた。燃えよ闘魂ですよ。私は通訳のケン田島さん、大杉弁護士とともにアメリカに行ったんだ。そうして、マネージャーのハーバート・モハメッドと会った。
 会談の場所はアリ側の弁護士事務所のある立派なビルのミーティングルームだった。
 お互いに弁護士同士というのは、自分の手の内を見せない。だから、いつまでたっても話し合いは平行線のままだった。そこで私がハーバート・モハメッドに『2人きりで話をしたい』と言った。
 すると弁護士たちが『冗談じゃない』と騒ぎ出した。2人きりで話したんでは弁護士の役目は果たさないし、お金が取れないからね。しかし、ハーバードは弁護士たちに『シャラップ!』と言ってね。みんな席を外してもらった。田島さんだけが通訳として残ってくれた。私は言った。
 『あなたもモスレムの信者であり、派の代表だ。私の父も日本の宗教家であり、私も宗教家の息子として生まれ、私の実家はお寺だ。宗教というのは世の中の人を救うためにあるのではないか。私たちのアントニオ猪木も、モハメッド・アリもリングの中で多くの人に夢を与え続けるために、ファイトをしてきたんじゃないのか。なのに、このように、それぞれのスターを守るために裁判を起こし、お互いに不幸になってしまっている。そこで私はある提案をしたい』と言った。
するとハーバードはうなずきながら『新間、その提案というのは何だ?』と訊いてきた。
『いま円高だ。こちらから言わせれば、このままだと150円なり100円になっていくだろう。うちの弁護士達は、これから円はどんどん強くなっていくから裁判は急ぐことはないと言っている。しかし、私はモハメッド・アリを守るあなた達の気持ちに大変感激した。私は特にハーバード・モハメッドという人に尊敬の念を抱いてきた。猪木もモハメッド・アリを大変、尊敬をしている。ぜひ、今日、私とあなたの間で裁判の決着をつけたいんです』。
 そして要求した。
『新日本プロレスはあの試合によって、大変なダメージを受けている。会社は売上げも減少した。私も専務取締役から一介の社員に降格した。だから、もう一度、正々堂々と闘えるルールで再戦をお願いしたいんです!』
 ハーバートは言った。
『わかった。しかし、アリがOKしてキャンプを張ると言った場合には、そのキャンプ料金を支払えるか』
 私は即決で「もちろんだ」と承諾した。
ハーバードも即決だった。『新間、話は決まった。もう裁判もやめよう。再戦のサインもしてやる。新間、いまここで再戦の文書を書け』。
 そこで通訳のケン田島さんと同行した大杉弁護士にお願いして、すぐにその部屋で簡単な契約書を書いてもらった。それで、私がすぐにアントニオ猪木に委任さている代理としてサインをしてハーバートに渡した。
 こうして新日本はアリ側に対して起こしていた裁判を即座に取り下げ、またアリ側も新日本プロレスとその関連の裁判についてすべて取り下げることになったんだ」
 おそらくこれも喧嘩の精神だと思うよ。喧嘩の精神で体当たりをしていった。だから、道が開けたんだと思うんだ。

●幻の「8・26夢のオールスター戦」が上映!

上映会では猪木をはじめ、坂口征二、藤波辰爾、長州力、タイガーマスクほか昭和史に残る名勝負を一挙に公開するとともに幻の「8・26夢のオールスター戦」も上映される。三団体の選手が一同のもとに会し、さらに猪木・馬場のBI砲タッグ。東京スポーツ新聞社の20周年記念行事でなければ、絶対にできなかったのが「8・26夢のオールスター戦」。それだけでも素晴らしい記念日となりそうである。さて、そのオールスター戦の裏舞台も気になる。それは団体間の競争でもあっからだ。特に新間の交渉力は新日本という“愛国心”から生まれた強いものだった。

「要するに馬場さんが、うんと返事をしなかった。これまで執拗に馬場さんに対して私とアントニオ猪木は「挑戦」してきた。三団体のオールスターをやるんなら、そういう方向性をあらためてくれと。だから私は馬場さんに「不愉快な言動をしたことについては申し訳なかったと思っています。謝罪させていただきます」と馬場さんに頭を下げたんですよ。馬場さんも、そういうことならということで正式に記者会見が行なわれた。これには新日本から立会人として二階堂進コミッショナー、全日本からはPWFのロード・ブレアーズ会長、そして東スポ本山社長が立った。さあ、それからですよ。経費とかキップの販売もありますし、テレビ放送とかね。
 テレ朝の新日本の放送は金曜日。馬場さんのところの日本テレビは土曜日放送。テレビ同士の話し合いがまったくつかない。テレビの問題はテレビ同士で解決してくれということになった。あとは経費とかマッチメークの問題。だから分業にしましたよ。テレビ放送問題はテレビで。マッチメークに関しては馬場、猪木、吉原社長の三者で決める。会場の件に関しては、私と全日本の米沢、国際の鈴木。そして東スポの櫻井さんの4人で決めましょうとなった。で、東スポに行って、その会議を行なうことになった。櫻井さんが会議の前に「新間さん、どういう形を考えている? 橋さん(東スポの橋編集局長)に事前に言っておくから」と聞いてきた。だから私はこう言った。
 『櫻井さん、私は一歩下がって5割欲しい。新日本が5で全日本が3、国際が2だ。いま、一番、団体として勢いがあるのは新日本だから。しかし、今回、馬場さんのオールスター戦に気持ちよく引き受けてくれたことに対して、誠意をみせなきゃいけない。だから、キップの配分は4:4:2という形でどうですか』と言った。それで売り場も新日本、全日本、国際の売り場を決めて分けようということを提案した。そのあとで三者(新間、米沢、鈴木)が集まった。
 でね、私が「キップの配分を4:4:2だと言ったら、国際の鈴木が立ち上がって猛反対。『冗談じゃない。オールスターというからには3団体が出るんだから平等にやってほしい』と。
 しかし、私は新日本の代表として言いましたよ。『じゃあ、公平、公正というところから、いまの新日本、全日本に太刀打ちできるんですか。観客動員や雑誌や新聞の紙面の取り扱いからしても国際は少ないじゃないかと。どういうふうにみても4:4:2の割合でしかないじゃないですか。私からすれば国際の割合は1でもいいが吉原社長に敬意を表して2と言っているんですよ』と話した。結果的に私が仕切る形で4:4:2の割合となったんです」。あらためて思うけど、私の喧嘩というのは私利私欲じゃない。すべてアントニオ猪木と新日本のための喧嘩だった。だから意見が通ったんだと思うんだよ。

●新間寿のある計略

同大会ではBI砲が結成されたが、その中で新間は馬場よりも猪木の人気があるようにするために作戦を考えた。

「入場はアントニオ猪木が先。馬場さんがあとということで新日本は承知した。ヨーシ、それなら声援だけは馬場さんに勝ってやろうと思ったんだよ。それでうちの息子を呼んで応援のアルバイトを集めてこいと。40人くらいアルバイトが集まった。入場の時はそれほど猪木コールはなかったけど、ブッチャーとやり始めたら『イノキ、イノキ』の大コールですよ。馬場さんの時は静かなもんですよ(笑)。しかし、あとで息子がバイトにお金を払っているのを見つかってね。馬場さんが東スポに『新間はアルバイトにお金渡して声援させていた』と文句を言った。しかし、東スポの高橋編集局長は『そんだけ新間は猪木と新日本のことを思っているんだ。一枚上手だったな』ということで終わったんだ」

●映像をバックに当時を語ろう

トークバトルは試合映像をバックに語り合うが、全体の司会進行はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」のアナウンサーで昭和の新日本プロレスの語り部舟橋慶一氏。そして坂口、藤波、タイガー、小林邦、北沢など各氏が登場。

「6m40pのリングの中には語りつくせないくらいの夢があり、嫉妬もあり、怒りも、悲しみも、喜びも数知れずあった。それが昭和の新日本プロレスだった。映像をバックに選手たちと当時の心境や裏話を聞こうじゃないか。
 それと言っておきたいことがあるんだ。最近、よく猪木イズムという。違うよ。私たちの時代は猪木イズムなんて言わなかった。燃えよ闘魂だったんだ。そして新日本は燃える闘魂だった。その闘魂というのは喧嘩という挑戦する心だったと思う。
 アリ戦が終わった時の私の家族は恐々と遠くから私を見ているような気がしたんだ。私は燃えてボロボロになっていたからね。しかし、絶対に燃え尽きなかった。また蘇ってきた。燃えよ闘魂とは燃え続ける闘魂のことなんだ。
 いまになって、過去を振り返ることができたけれども、これまで家族を巻き込んできたけど、わが妻はこうして81歳になった私がいまも「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」を開催して青春時代を蘇らせて、元気な姿を見ているのが楽しみのはずですよ。
 10月7日は金曜日。昭和のワールドプロレスリングは金曜夜八時からでした。
 さらに1957年(昭和32年)10月7日は後楽園球場でアントニオ猪木の師匠である力道山とルー・テーズの世界選手権があった記念すべき日。この記念すべき日にみなさんも私と一緒に元気いっぱい昭和の新日本プロレスを分かち合い、楽しんでください!」



■タイトル:『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』
■開催日時:10月7日(金)開場/17時30分 開始/18時30分
■会場:後楽園ホール (東京都)
※【本イベントご来場者様のみ豪華特典】特別プレセント:来場者全員に「昭和の新日本プロレスが蘇る日」記念特製メダル(限定品)を贈呈

2016-10-04 12:12 この記事だけ表示

10月7日(金)、午後6時30分より東京・後楽園ホールにて開催される「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」についての記者会見が9月30日(木)午後2時より、東京・帝国ホテルにて行われ、大会の概要が発表された。

(取材・文:新井宏)




会見には新間寿実行委員長、藤波辰爾、初代タイガーマスク、舟橋慶一実行委員(元テレビ朝日アナウンサー/プロレス実況担当)、榛葉賀津也名誉実行委員(リアルジャパンコミッショナー)平井丈雅実行委員(リアルジャパン代表)が出席。

新間寿実行委員長「私が経験した新日本プロレスというのは、いま81歳になっても、いまだにまだ沸々と燃える闘魂が心の中から弾き出るような、そういう日常でございます。アントニオ猪木がいて、坂口征二がいて、ドラゴン藤波(辰巳=当時)がいて、タイガーマスクがいて、長州力がいて、どれ一人をとってもみんな凄い選手。私は現在81歳になりました。昭和の新日本プロレスを思い続け、過去を大事にすることというのは、自分の未来、あと2年か3年かわかりませんが、大事に生きようという気力を蘇らせてくれております。現在もローラーをヒザを着いて30回、10セット。腹筋台のワンダーコアというやつはパンツが擦り切れるほど7セットから10セットくらいやっております。そういう気力を呼び起こし、そしてやる気を持たしてくれたのが昭和の新日本プロレスでございました。今日は10月7日について新しい発表を榛葉賀津也先生のほうから発表させていただきたいと思いますけども、10月7日は本当に凄いプロレスをお見せできる、こういうものがあったんだということを今一度皆様にお伝えしたいというのが、今回10月7日、ビデオによる放映とトークショーを企画したしだいでございます。今日は本当にありがとうございます」

榛葉賀津也 「このたび名誉ある大会の名誉実行委員ということで承りました参議院議員の榛葉賀津也でございます。昭和といえばプロレス、プロレスといえば昭和、我々子どもの時代のアントニオ猪木、藤波辰巳(当時)、そしてタイガーマスクとまさに黄金時代を創ったその昭和が10月7日、蘇ってくる。プロレスファンにとってはたまらない日になると思います。国会議員をやってますが、その道を志したのも、新日本プロレスの当時のコミッショナー、二階堂進先生に憧れて、私は政治の道を志しました。国会議員になればプロレスラーに近づけるとの思いが子ども心にありました。いまこうして仕掛け人の私のプロレスの師であります新間寿会長、そして藤波先生、佐山(初代タイガーマスク)先生と一緒に時間を過ごせるというのが、いまの女子高生にとっての、マツジュンとキムタクと一緒にいるよりも信じられない瞬間でございます。このたび、昭和54年8月26日、東京スポーツ新聞社さんの主催で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス、この3団体がなんと「夢のオールスター戦」を実行した。そのときの秘蔵映像が新間会長のお手元にあることが分かりました。今回10月7日、秘蔵映像初お披露目ということになりました。見たことがないので、今からワクワクドキドキなんですが、話に聞きますと、ファイナル(メイン)は(アントニオ)猪木と(ジャイアント)馬場がタッグを組んで、(タイガー・ジェット・)シン、(アブドーラ・ザ・)ブッチャーと闘った試合とのことです。是非、この10月7日、「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」イベントでは、「夢のオールスター戦」の秘蔵映像もぜひお楽しみにしていただきたいと思います」

藤波辰爾 「10月7日、久々に、自分自身が言うのもおかしいですが、昭和のプロレスを再び見れる。実際自分は、今62歳でいまだにリングが恋しくてリングに上がっていますけども、そういう中でリングに立てるという熱き思いをぶり返していただけると、自分自身が協力をしているイベントです。どうぞよろしくお願いします」

初代タイガーマスク 「昭和のプロレス、いまのプロレス、時代が流れてスタイルが違うという方もいらっしゃいますが、スタイルが変わるわけがありません。古代パンクラチオンからいまの格闘技までスタイルは変わらない、プロレスも変わらないものがあって、それがひとつの流派である。その流派のひとつである新日本プロレスというものがどういう時代だったのか、どういう人たちがどういうプロレスをして、どういう裏方の方々がいてああいう時代を築けたのか、その内容がすべてわかると思います。なにが違うのか、確認に来てもらいたいと思います。私自身もあの時代を思い出すと心がウキウキして、今日から3日間、集中トレーニングを始めます。この気力、充実ともすべて当時の新日本プロレスが培ってきたものがいまだに流れているということ、いったいこのエネルギーはなんなのかということを10月7日に自分自身も見極めたいと思います。よろしくお願いします」

舟橋慶一 「昭和のプロレスを振り返るというこんな素晴らしい企画は、夢のようでございます。日本プロレスの後半から新日本プロレスの黄金時代、アントニオ猪木さんを中心として、猪木さんとともに私の実況があったような、そういう時代を送れたことは本当に人生に代えがたい思いであります。とくに宇都宮で新日本プロレスの放送が再開されたとき(1973年4月6日)の喜びはいまでも脳裏にしっかり刻まれております。やっぱりすべての人生そのものといいますか、プロレスというのは人生そのものという気がします。すべての鍛えた技、肉体をぶつけあって、その阿吽の呼吸の中で一つのドラマを作り上げていく。これはどんな舞台俳優でも台本があって、セリフがあります。しかしプロレスラーは鍛えた身体、そして相手の選手との阿吽の呼吸の中で技を出し合って一つの自分を表現していく。ですからそこに筋肉の躍動とか精神の高揚、それを身体が表現するという、こんな素晴らしいスポーツはないと思って実況してまいりました。私の実況はどちらかというと、ストロングスタイル的な実況といいますか、スポーツの原点としての、いま佐山さんがおっしゃったように古代パンクラチオンの時代から変わることがないわけですね。この肉体の表現をいかに表現、実況で表現するかということに自分の実況のすべてをぶつけてきました。それがやっぱり、本当に新日本プロレスとの出会いは幸せだったと、それを10月7日に振り返ることができる。こんな素晴らしいことはないと思っています。よろしくお願いします」

新間 「10月7日はぜひご期待ください。そして榛葉先生がおっしゃっていたように、(1979年)8・26東京スポーツ主催の3団体の「夢のオールスター戦」、私が秘蔵しておりました全試合のビデオが引っ越しのときに、今年の3月に見つかりまして、それを今日はDVDにしていますので、全9試合、第1試合からメインイベントまでの試合があります。
それを10月7日はメインイベントのジャイアント馬場&アントニオ猪木組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組の闘いは約5分間くらいニュース枠として日本テレビとテレビ朝日が、それぞれ放映したんですけども、藤波さんとジャンボ鶴田さんとミル・マスカラスと組んだ6人タッグがあったり、坂口さんと全日本の(ロッキー・羽田)選手がシングルで闘ったり、ドン荒川選手とスネーク奄美と闘ったり、バトルロイヤルで山本小鉄が優勝したりと、非常に私が見ても、もう一度見直しても、音だけ入っていて解説は入っていないんですけども、これから編集してどの試合を何分くらい10・7でお見せすることができるか、このイベントが終わった後、東スポさんにゆっくり今後のことを相談しに行きたいと思っておりますが、10月7日、8・26の試合映像は最低でも30分くらいは放映できるような枠を取りたいと思っております。ご期待ください」

ここから、“8・26夢のオールスター戦”における馬場&猪木組vsブッチャー&シン組、鶴田&マスカラス&藤波組vsマサ斎藤&タイガー戸口&高千穂明久組の映像をダイジェストで披露。

新間 「10月7日には舟橋慶一さんにちょっと解説を入れてもらいながら、これを会場の大スクリーンで見たいと思います。ぜひご期待くださいますように、よろしくお願いします」

――(藤波に)これを見て、当時を思い出しますか。
藤波 「見ているうちに試合の流れまで頭に浮かんできます。衝撃がね。よくぞこの大会が実現したと。何年ぶりですか、あの時以来ですからね。試合やってたからほとんど見られるわけではないので。」

――38年ぶり。
新間 「東スポさんと話をしないといけない。東スポと話をして、私はこのビデオを持ってるわけだから。主催は東京スポーツ、全日、新日、国際3団体。よく実現できたと思ってね。6メート40の(リングの)中には舟橋さんが言うように、自分たちが尊敬する選手たちが命を懸けてやってるんだという、それを見る喜びでした。そのような凄い試合を闘い抜いてきた人たちの映像がこれだけ鮮明に残っているという。皆が(映像を)いま初めて見たと。だからいま見て、やっぱり新日本プロレスだなと思ってると思う。馬場さんの動きがいいので(佐山は)ビックリしてるもん」
佐山 「ビックリしますよ」

新間 「馬場さんも元気だったもんねえ。(榛葉)先生、何歳だった?」

榛葉 「小学校5年生ですね、11歳。見てないです」

新間 「(放送について)東京スポーツが中に入って話をつけたんです。また、(スタッフが)徹夜でやっててね、うちは女房におにぎり作らせたり、サンドイッチ買ったりコーヒーもって差し入れに行ったもん、徹夜組に。本当に凄かった」
藤波 「うちの家内はチケット買えなかったんですよ」

新間 「でもあそこに佐山聡、タイガーマスクがいたらもっと面白い流れになってたと思うけど、あれはあれなりに、9試合全部残っているというのは奇跡に近かったね。引っ越しするときに何が出てきたんだろうと。“力道山空手チョップ世界に行く”とかそういうビデオが出てきて、それと一緒に出てきたんだよね。これは平井(リアルジャパン)に相談しないとと、まず思ったね。これを東スポさんと相談しながら、よく話をして、ちゃんとするようにしますよ。カンペオン(藤波)もいるし」

――8・26以外で、そのほかの上映試合は?

新間 「アントニオ猪木vsストロング小林(1974年3月19日)。私が一番好きだった藤波辰巳さんのWWFのニューヨークのマジソンスクエアガーデンでやった(カルロス・ホセ・)エストラーダとのタイトルマッチ(1978年1月23日=現地時間)。そしてタイガーマスクvsダイナマイト・キッド。3つの試合を上げろとなれば、猪木vs小林、藤波vsエストラーダ、そしてタイガーマスクvsキッド。そういえば、タイガーマスクのデビュー戦(1981.4.23.蔵前国技館)の時は、自分でも手を握りしめながら、梶原(一騎)先生の顔とリングを交互に見ながら。コーナーポストに上がって(タイガーが)パッと手を上げたときに梶原先生がニコッと笑った。先生、OKだなと。その後、(タイガーが)ニューヨークMSGに行ったときに、一番最初は観客がざわついて野次を飛ばした。変なもの被ってなんだと嘲りの言葉が出たり。私はマクマホンと一緒のプロモーターたちがいる一角にいたんだけれども、カンペオン(藤波)さんのときはリングサイドで見たんだけど、タイガーのときはビンス(・マクマホン)の奥さんらと。1分経たないうちにビックリするからと。ビンスの奥さんはニコニコしながらタイガーの試合を見てた。そのうち野次が飛んだ。それから始まったら、“オー、オー!オー!!”となった。観客が絶賛の声援に変わった!(佐山に)どうだったと聞いたら“自分でも反応がわかった”と。カンペオン(藤波はMSGの)リングに上がったときは“本当に震えてきた”と。あそこの会場の雰囲気は選手はそうだけれども、見に行った人間たちにとってもすごい雰囲気というか、その一員になれたというだけで幸せになれた。舟橋さん、あそこ行ったよね。すごい雰囲気だったもんね」

舟橋 「そうですね。ガードマンや警備員や売り子がみんな試合に見入って、ガードマンが絶叫しているんですよね」

新間 「MSGの地下に映画館みたいに2,500人から3,000人くらい収容する場所があって、そこの大スクリーンでクローズドサーキットをやった。タイガーマスクとか藤波とか猪木が出ると、タイトルマッチの時はそこを開放してね、客を入れるから、そこにプラスアルファの(観衆が入る)。超満員でビンスが本当に喜んでくれる。タイガーマスクをよこせ、藤波をよこせと言われてね、断るのに苦労して、海外に出すのも考えものだなと思ったこともありました。でも凄く嬉しかったですよ。そしてここ(記者会見)にカンペオン(藤波)が来てくれて。藤波さんと呼んだことはない、カンペオン(と呼ぶ)。メキシコのスペイン語での習慣での呼び方ですけども。タイガーは昔から佐山ちゃんと呼んでたので。この2人とやれる喜び。それと坂口さんが、“新間さん、必ず行くよ”と。グラン浜田とか小林邦明、北沢幹之(らも来場)。私自身も楽しみにしておりますので、どうぞご期待ください」



■タイトル:『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』
■開催日時:10月7日(金)開場/17時30分 開始/18時30分
■会場:後楽園ホール (東京都)
※【本イベントご来場者様のみ豪華特典】特別プレセント:来場者全員に「昭和の新日本プロレスが蘇る日」記念特製メダル(限定品)を贈呈

2016-10-03 14:10 この記事だけ表示

過激な仕掛け人とレジェンドレスラーたちが集結
後楽園ホールに昭和を彩った激闘の数々が蘇る……
『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』開催決定!

 4日、帝国ホテルで“過激な仕掛け人”新間寿氏が記者会見を行い、イベント『10.7 昭和の新日本が蘇る日』を後楽園ホールで開催すると発表した。

(取材・文:村上謙三久)

モハメド・アリの死去の報を受けてイベントを企画

 今年6月3日にモハメド・アリが急逝。ちょうど6月26日が「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」の異種格闘技戦から40周年だったこともあり、テレビ朝日での追悼特別番組をはじめ、様々なメディアで「猪木vsアリ戦」が取り上げられた。

 「猪木vsアリ戦」をはじめとする異種格闘技戦や、世界を股にかけたIWGP構想といった新日本プロレスの仕掛けは当時大きな反響を呼んだが、当事者であるアリの死去という時代の変わり目を迎え、改めてその試みの壮大さと、残したインパクトの大きさがフィーチャーされた。

 当時のことを「私はひとりで考えてひとりでやるよりも、リングの外側の人たちから注目が集まることを考えれば、凄いものになるんじゃないかという考えで仕掛けていました」と振り返った新間氏は、「昭和の新日本プロレスというのは、いつもマスコミとともにあったと私は思っています」と改めて実感したという。

 時代も移り変わり、プロレスのあり方も変化している。新間氏は「当時の新日本プロレスは私から言わせてもらえれば“凄いプロレス”でした。今は“楽しいプロレス”。これがあってもいいんじゃないかと私は思いました」とその変化に理解を示しながらも、「20世紀最大のスーパースター(モハメド・アリ)が亡くなった時に、語り合える場所がないじゃないか。じゃあ、私が何か考えてみよう。マスコミの人たちも一緒になって、あの当時のことを話し合うようなイベントをやりたい」と考え、今回のイベントを立ち上げた。

名勝負の映像公開、選手たちによるトークショーの二部構成を予定

 『「10.7昭和の新日本が蘇る日」実行委員会』がイベントを主催。新間氏が実行委員長を務め、警視庁・外務省出身の大野俊幸氏(新間事務所副会長)、元新日本プロレス営業部長・元ジャパンプロレス社長の大塚直暉氏、リアルジャパンプロレス社長の平井丈雅氏が実行委員としてサポートする。また、当時の『ワールド・プロレスリング』の実況を担当していた舟橋慶一アナウンサーがイベントの司会をすることも発表された。

 坂口征二、藤波辰爾、初代タイガーマスク(佐山サトル)、小林邦昭、北沢幹之の他、昭和新日本で活躍したレスラーたちの来場を予定。当時の新日本を取材していた記者たちも集結し、株式会社テレビ朝日、東京スポーツ新聞社、株式会社ベースボール・マガジン社も全面協力する。

 今回のイベントは、あえて試合は行わず、リングも設置せずに開催。テレビ朝日の協力の元でアントニオ猪木をはじめ、坂口、藤波、長州、タイガーマスクらが繰り広げた昭和の名勝負を映像で振り返る「名勝負物語」と、新間氏や昭和の新日本マットで活躍した選手たちが登場し、試合映像をバックに“あの頃”を振り返る「言えんのか!トークバトル」の二部構成を予定している。

 また、力道山先生、モハメド・アリ、ブルーザー・ブロディ、アンドレ・ザ・ジャイアント、星野勘太郎、山本小鉄ら鬼籍に入った昭和の名選手たちに哀悼の意を込め、関係者たちの手による「20カウントゴング」も計画しているという。

 その他、新間氏が保管していた「猪木vsアリ戦」の秘蔵写真をはじめ、興行ポスター、伝説のベルト、トロフィーなどの「プロレスお宝展示」、サインボール投げ、お宝抽選会、レジェンドレスラーとの撮影会といった「交流イベント」も企画中。来場者全員に『昭和の新日本プロレスが蘇る日』記念特製メダル(限定品)を贈呈し、チケットの先行発売特典として、「猪木vsアリ戦」の大会記念ポースターの複製版もプレゼントされる。

新間氏が直接指揮 定期開催も視野に

 「自分たちの夢を、自分たちのできないことを形にしてくれたレスラーたちが、6m40のリングの中で死力を尽くしてくれたんだと思います。サンクチュアリ……聖地を我々は一緒になって見続けて、今もそこで見たことを自分の人生の青春として心の中に残している。そういう火を10月7日に蘇らせたい」と新間氏。今後は定期的な開催を目指しており、「来年は思い出の京王プラザでこういう催しをやりたいと思っています。年に1回はやりたい。古き人たちも、今のプロレスに携わっている人たちも一緒になって、映像を見ながらお喋りできる交友の場所を作っていきたいと思っています」と意気込みを語った。

 “過激な仕掛け人”の熱い気持ちは健在で、会見の席では「10月7日はどう? もしやるんだったらリングを組んであげるけど、マスコミだけのバトルロイヤルをやる? 賞金10万円出すよ(笑)」と、かつて行われていたマスコミによるプロレス大会を提案し、取材陣をタジタジにさせる場面も……。新間氏が直接指揮を執っているだけに、その場限りの“ヤバい話”やサプライズにも期待できそうだ。

 なお、今回のイベントで公開される「猪木vsアリ戦」の秘蔵写真は、9月1日〜11月18日の期間に京王プラザホテル45周年記念として開催される写真展での展示も予定している。

■大会名:『10.7 昭和の新日本が蘇る日』
■開催日:10/7(金)
■会場:後楽園ホール (東京)

【先行購入特典】
上記先行期間にお申込みの方全員に、「アントニオ猪木vsモハメド・アリ戦」(1976年6月26日 日本武道館にて開催)当時の大会記念ポスター( B2版/石坂浩二様描写)複製版をプレゼントいたします(チケット1枚につき1枚)。

e+独占先着先行:8/11(木)12:00〜8/21(日)18:00
一般発売:8/23(火)10:00〜10/5(水)20:00

2016-08-05 19:21 この記事だけ表示