■大会名:RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX
■日時:12/29(火)〜12/31(木)
■会場:さいたまスーパーアリーナ (埼玉県)



■イベントコンセプト

我々が目指す格闘技の未来?。
それは、世界中に数多ある格闘技プロモーションを
一つにまとめることではありません。
その国の文化や慣習や特色といったものが反映された、その団体が
持つ独自色を保ったまま、強さを競い合う「舞台」を作り出すことです。

現在世界には、大小1,000もの格闘技団体・プロモーションが
存在すると言われています。
その中から選りすぐられた団体の代表選手が集い、優勝を求めて参加する大会が、
「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX
(ライジン・ファイティング・ワールド・グランプリ)」です。
第一回目となる今回は、2015 年12月29日・31日と両日に渡って
格闘技の聖地・さいたまスーパーアリーナにて、
8 人よるトーナメントが繰り広げられます。
過去、さまざまな格闘技イベントが開催されていますが、世界中から
これほど多くの団体が参加し、これほどの規模で強さを競う大会は
史上初と言っていいでしょう。

世界中には、サッカーやバレーやラグビーなどのワールドカップ、世界陸上、
世界水泳など、さまざまな競技の、さまざまな大会・競技会が存在しています。
我々は、プロモーション(団体)ではなく、フェデレーション(協会)を立ち上げ、
数多ある団体と競合するのではなく、競技会の主催者として、
大会を開催・運営していきます。
「RIZING FIGHTING WORLD GRAND-PRIX」は、各国の団体が参加する、まさに
世界規模の「競技会=メガトーナメント」なのです。
我々は、この「RIZING FIGHTING WORLD GRAND-PRIX」が、
10年後も、100年後も変わらず行われるようなシステムを構築し、
格闘技がオリンピック競技となり、格闘技が世界中の人々から
文化として愛されるような取り組みを進めてまいります。
RIZIN FIGHTING FEDERATIONが、格闘技のニューチャプターの扉を開きます。



■大会概要

□大会名
RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015さいたま3DAYS
(ライジンファイティングワールドグランプリ2015サイタマ3デイズ)

□日時
2015年12月29日(火) 開場13時30分 開始15時00分
2015年12月31日(木) 開場13時30分 開始15時00分
※開場・開始時間は予定です。変更になる可能性がありますのでご注意ください。
12月29日、30日、31日の三日間はさいたまスーパーアリーナのコミュニティ
アリーナ及びけやき広場にて「格闘技EXPO」を開催いたします。

□会場
さいたまスーパーアリーナ

□チケット料金
全席指定・消費税込 ※ 1 歳より入場券が必要です。


□特典
VVIP席 受付はRIZIN 事務局のみとなります。特典・お申し込みはRIZIN 事務局までお問い合わせください。

VIP席 1日券 専用入場ゲート・オリジナルグッズ・専用ラウンジ・リラックスシート・VIP 専用化粧室

セット券 1日券の特典+オリジナルパス・フェアウェルパーティー


■参画団体

◯Bellator MMA
代表 スコット・コーカー Scott Coker
2008 年に設立されたアメリカのMMA団体で、全米、フランス、ロシアで放映されている。かつてStrike Forceの代表を務めたスコット・コーカーが代表に就任し、近年はメガイベントとして急成長。Bellatorはラテン語で「戦士」の意。所英男やジョシュ・トムソンなどのほか、重量級や女子のファイターも数多く参戦している。

◯BAMMA
代表 デイビッド・グリーン David Green
イギリスのメジャーMMA団体Cage Rageのスタッフが中心となって2009年に設立。国内でこれまで24大会を開催し、イギリスのMMA ファンに愛されている。ヨーロッパをはじめアメリカやアフリカからもファイターを招聘。イギリスはもとより世界6か国で放送されている。

◯KSW
代表 マーティン・レバンドフスキー Martin Lewandowski
2004年に設立されたポーランドのメジャー団体。現在まで36大会が行われ、国内のみならずヨーロッパ全土のMMAファイターが憧れる場となっている。マリウス・プジナウスキーやマメッド・ハリドヴなどを国民的スターに成長させた。今年10月には初の海外興行をイギリス、ロンドンで行う。

◯BUSHIDO
代表 ドナタス・シマナイタス Donatas Simanaitis
1999年に設立されたリトアニアの格闘技団体。MMAイベント“BUSHIDO FC”と立ち技格闘技イベント“KOK(KING OF KINGS)” を主催。リトアニアやイギリス、アイルランド、ポーランドなど欧州でイベントを開催している。また、日本の格闘技界とは古くから友好関係にあり、K-1やPRIDEをはじめDREAMやZST、修斗などにも選手を送り込んでいる。

◯JUNGLE FIGHT
代表 ヴァリッジ・イズマイウ Wallid Ismail
かつてPRIDE のリングで狂犬と恐れられたMMAファイター・ヴァリッジ・イズマイウによって2003年に設立され、ブラジルで現在まで82大会も行っている。ファブリッシオ・ヴェルドゥム、リョート・マチダ、ロナウド・ソーザ、ジョゼ・アルド、ビビアーノ・フェルナンデスなど現在世界中で活躍する代表的なブラジル人選手が育まれた、南米一の団体。

◯DESERT FORCE デザートフォース
代表 ゼード・ミルザ Zaid A Mirza
2010年に設立された、中東で最大規模の格闘技団体。ヨルダンを始め、UAE、バーレーン、サウジアラビアなどで開催し、中東近隣13 諸国のトップファイターが集う場となっている。2013年にはアマチュア選手をプロ選手に育成する「ジ・アカデミー」というリアリティ番組を企画、放送。国内外で人気を得ている。


■出場予定選手

◯エメリヤーエンコ・ヒョードル Emelianenko Fedor

1976年9月28日生、39歳、ロシア出身、183センチ、100キロ。
初代リングスヘビー級王者、第2代PRIDEヘビー級王者。2000年代において、「60億分の1の男」「世界最強の男」として、格闘技界に君臨する。2012年6月に引退を表明し、ロシアスポーツ省特別補佐官とロシア格闘技連盟の代表を務めていたが、この度復帰を表明。3年ぶりとなるファイトに世界中からの注目が集まる。

◯桜庭和志 Kazushi Sakuraba

1969年7月14日生、46歳、秋田県出身、180センチ、85キロ。
PRIDE時代は、グレイシーハンターとして数々の名勝負を繰り広げる。なかでも2000年に東京ドームでのホイス・グレイシーとの90分に渡る死闘は、日本格闘技史に残る闘いとして記憶されている。PRIDE以降は、HEROES、DREAMといった総合のリングで闘い続け、現在は新日本プロレスのマットで活躍。日本の総合格闘技に火を灯した男の集大成の闘いは必見だ。

◯青木真也 Shinya Aoki

1983年5月9日生、32歳、静岡県出身、180センチ、70キロ。
38勝のうち25勝が関節・締め技による勝利と、驚異的な極めの強さを持つ、日本最高の寝技師だ。修斗、PRIDE武士道、DREAMといったリングで活躍し、中軽量級の中心人物の一人として、数々の強敵からタップを奪っている。現在はシンガポールのONEチャンピオンシップで活躍し、同団体のライト級王者として君臨。圧倒的な強さで防衛を重ねている。昨年の大晦日は、IGF のリングで、山本勇気をツイスターで一本勝ちを収めた。今年の大晦日は強豪を迎え撃ち、最先端・最高峰の寝技を満天下に見せつけたい。

◯ギャビ・ガルシア Gabrielle Garcia 所属:KINGS MMA / TEAM ALLIANCE

1985年11月17日生、30 歳、ブラジル出身、188センチ、93キロ。
ブラジリアン柔術世界選手権、世界柔術選手権、アブダビコンバットなど、数々の大会で優勝を飾り、「世界最強の女柔術家」と呼ばれている。圧倒的な体格を利したパワーに加え、繊細な技術も併せ持つ完全無欠の柔術女王として、ブラジルでは圧倒的な人気を誇っている。総合への参戦が期待されていたが、本年大晦日、日本でのデビューが決まり、母国ブラジルにおいても期待が高まっている。現在は総合デビューに向けて、打撃の習得に余念がない。人類最強女子が、遂に日本初上陸を果たす。

◯RENA Rena

1991年6月29日生、24歳、大阪府出身、160センチ、50キロ。
日本女子キック界において美しさと強さを兼ね備える選手として、高い人気を誇っている。小学六年生よりシュートボクシングを学び、07年にプロデビュー。そのデビュー戦こそ黒星を喫したが、その後順調にキャリアを重ね、09年にはシュートボクシング女子の祭典、ガールズS-CUPに出場を果たした。その大会で初優勝を飾ると、翌10年の同大会も制し二連覇を達成。女子シュートボクシングの女王として、名実ともに頂点に立った。その後は、外国人ファイターを相手に勝利を重ね、その地位を不動のものにしているが、次なる目標は別ジャンルへの殴り込みだ。シュートボクシングの女王が、大晦日のリングに、美しきKO劇を披露するか。


■大会名:RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX
■日時:12/29(火)〜12/31(木)
■会場:さいたまスーパーアリーナ (埼玉県)

2015-10-09 20:27 この記事だけ表示

■大会名:「The Tempest Dragon竜司ウォルター引退試合」
■日時:8月23日(日) (18時試合開始)
■会場:東京・新宿FACE

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バチバチと言われる熱いファイトを展開してきた竜司ウォルターが、8月23日(日)、東京・新宿FACEで引退試合をおこなうことになった。プロレスに入門して20年、自主興行は10回目。その節目と同時にマットを降りることに決めた竜司はいまどんな心境なのか、話を聞いてみた
(聞き手&撮影/新井 宏)

――8月23日(日)に新宿FACEで開催される自主興行が10回目とのことですが、今回でのプロレス引退を発表されました。引退を決めた理由はなんでしょうか。
「2011年に自分が所属していたバトラーツの解散がありました。自主興行もやっていましたけども、昨年具合を悪くして、ちょっと倒れまして、脳梗塞みたいな感じと血糖値が高かったもので、ちょっと体重を下げないといけない。あと、父親が会社をやっていまして、もういい歳で入退院を繰り返している。親が元気なうちに安心させてあげたいなという意味で親の後を継ごうと。いままでアメリカ行ったり日本でもプロレスやったりしたんで、今後の人生は親孝行のほうに回してみたいなと思いまして、それで今回、引退を決めました。もともとアメリカで首をちょっとケガしてまして、そこに爆弾というか後遺症を持っているんです。それに8年前ですか、またケガをしまして、そこからほぼ毎日のように痺れが止まらない。それを機に首の神経も痛んでまして、もし治すとしたら手術しかない。現在プロレス団体どこにも上がっていませんので、中途半端にやるよりも終止符を打とうかなと思いまして、引退となりました」

――お父さんを継ぐという部分と、肉体的部分の二つの要因が重なっていると。
「ハイ、そうです」

――引退試合が迫っていますが、いまの心境はどうですか。
「リングから2年間離れてまして、最後にやった選手が元UWFインターの山本喧一選手でした。本当は引退試合にやりたかったんですけど、山喧選手も引退したので、そこでタッグを組んでいた原学というボクと同じバトラーツ経由で来ている選手で、彼がずっとシングルマッチを熱望していましたので、ボクも一度彼とやってから終りたいなと。彼もいまU−FILE CAMPで活躍してチャンピオンになったので、逆指名というかどれくらいすごくなったのか確かめたい。引退興行ではいろんな選手が出ますけど、ファンの人から見ればバトラーツの選手がどこにいるんだという話にもなるので、メインでバトラーツをガッチリ決めようかなと。ルール的にはバトラーツは解散してますし、石川雄規のほうからもバトラーツは終わったということなので、今回、テンペストルールという形でやります。ルール的にはバトラーツとほとんど同じですけど」

――ということはバチバチファイト?
「バチバチですね。ノックアウト、ギブアップのルールで、ピンフォールがないということです」

――そもそも竜司選手はどのようにしてプロレスラーになったんですか。
「経由的には、もともとボクはロードウォリアーズのホーク・ウォリアーを知ってまして、ホークが自分のアニキ的存在だったんですよ。アメリカで彼とジムで知り合ってから、ちょうど彼がミネアポリスからタンパに引っ越したときちょうど、マレンコ道場のほうに入ったらいいんじゃないかということで。ボクもバチバチ系のファイトが好きだったので、ディーン・マレンコから関節技を教えてもらって、いまではUFCと言われてるあっちの方面に行く予定だったんです。道場に入ってオーディションとかいろいろありましてそこをクリアーして、今日からプロレスラーになれって話になって、それでプロレスのノウハウを教えてもらって基礎を教わって。もともと極真空手をやっておりましたので空手の練習をずっとやってたんですけど、プロレスの練習はすごい練習をするんだな、ついていけるかなというのが正直な気持ちでした。右も左もわからないままロサンゼルスから渡り、マレンコ道場に入門しホークからディーン・マレンコを紹介してもらってマレンコ道場での練習が始まり、そのときにちょうど元UWFのレフェリーで(ミスター)空中さんという方がいたんです。ボクのコーチのジョー・マレンコさん、ディーン・マレンコさんに加えて、そこでシュートレスリングを教わりました。ボクは両方教えてもらう形で、その間に空中さんが亡くなったんですが、マレンコ道場経由ってほとんどUWF系が多かったもので、プロレスラーはこういうものなのかというものを両方教えてもらいましたね」

――両方のプロレスというのは?
「アメリカのプロレスも教えてもらい、日本のプロレスもまたストロングスタイルというものを教えてもらったと。そのときに石川雄規という自分の社長がマレンコ道場だったもので、ちょうどその道場を卒業してから藤原組からバトラーツに代わり、そのときにちょっと見させてもらったんですよ。もともとボクは空手やってたものでああいう闘いをしたいなと、アメリカンプロレスよりもストロングスタイルのプロレスをやりたいと。それで日本にアメリカから逆輸入という形で日本に渡りマレンコ道場からバトラーツに移って、自分の好きなスタイルで(やることにした)。そのときは寝技的にはそんなにできなかったんですけど、入ったときに石川雄規から教えてもらい、それでその前にもジョー・マレンコから教えてもらい、自分に合ったプロレスを追及していきたいなと思っていままでやってきました」

――逆輸入のバチバチファイターということですね。
「ハイ」

――入門して約20年。この20年間で、プロレスの一番の思い出というとなんですか。
「たくさんありますけど、プロレスというのは本当に奥が深いというか、いろんな人がエンターテインメントとかいろいろ騒がれてますけど、本当に奥深いと思ってます。その奥深さを知ったことが一番ですかね。自分が技をおぼえていけばいくほどプロレスはお客さんに喜ばれるし、魅せられる。また自分が考えてきた、どういうプロレスの流れをするかとかを考える。たとえば本番でぶつかったときに自分が個人的に考えたことをお客さんの前とその選手にぶつけて、選手がこういう技を出してきたらこうやって返そうと試合前に想像しながら当日に向けてがんばって、それが表に出たときにお客さんが喜んだ顔、あと盛り上がったというときがうれしい。そこにやっぱり勝ち負けだけではないというか、プロレスの奥深さというか、またおもしろさというんですかね、そういうのがあると思うんです。ボクらが闘ったことに対してお客さんが涙流してたりとか、感動してたりとかそういうものですよね。たとえ負けたとしても、負けっぷりのよさもプロレスでは光りますし、負けちゃったで終わるわけではないので、プロレスというのはほとんど内容(がすべて)。内容でどこまで濃さが出るか。とくに日本ではストロングスタイルのプロレスがありますから、本当に強い人間がプロレスラーになる。ボクらの若いころはそうやって教わってきたので、そこでプロレスの舞台に上がれた。ましてやバトラーツというバチバチ。ロープ振ったり3カウントでおぼえてきてるプロレスを学んできたので最初は正直手こずりましたけど、UWF系からきてる闘いをさせてもらった。ただやっぱりU系の方からアメリカに来たときに教えてもらったりとか、寝技でも寝技のアートというんですかね、そのアートの部分をどのように出していくか。それには本当に技もおぼえないといけないし、そこで蹴ったり殴ったりの、それでも立ち上がっていく勇気と、立ち上がったときにどうするかというそこでお客さんがどうとらえていくかというお客さんとの駆け引きとか、選手と自分との駆け引きとか。10年以上日本でやって、いろんな意味で勉強になりましたね」

――そのなかで思い出の試合を一つ挙げるとすればなんでしょうか。
「一つ挙げるとしたら、8年以上前に藤原組長と仙台で闘った試合ですね。そのときに組長の奥深さというんですか、関節の鬼ってすごく有名じゃないですか。関節技の鬼というものはもちろんテレビとかで見ててわかっていたんですけど、組長の力のすごさに驚きましたね。あと打たれ強さ。あれだけ殴っていっても倒れない。やっぱり昭和のレスラーっていうのはものすごい鍛えて、鍛えた貯金があるから何年もできるんだなというすごさを試合で教わって。また関節技に関してもこういうディフェンスがあるんだと試合中に教わりました」

――いままでのキャリアのなかで、プロレスから得たものはなんですか。
「プロレスで得たものは、やっぱり感動ですね。ボクらが闘うことでお客さんが感動する。自分が闘って自分が感動しちゃう部分もありますし。あといい試合すると、寝られないんですよね、1週間くらいずっと」

――興奮して?
「ええ、興奮して。相手の入場曲もアタマのなかでずっと流れてたり。いま藤原組長の話をしましたけど、組長の曲、ワルキューレの騎行がずーっと流れてるんですよね。同じリングに立ってホンモノが出てきたって思うし、真向かいにいるっていう興奮もありますし。言葉では表現できないんですけど…」

――その興奮が、後々まで残るということですね。
「残るんですね。残るんですよ。そこから、前に進むんですよ。またリングに上がりたいという気持ちが自分のなかで作り上げられて、またやっていきたいと。それがこの20年やって、やっとその興奮も、覚めてはないですけど、そのなかでやりたいことを一生懸命やってきて自分のなかで覚めたという言葉よりも尽くしてきたので、もうそろそろ終止符にしてもいいかなと。ちょうど大会も10回目になるのでちょうどいい区切りかなということで。竜司興行というものをおこなってきたのは、もともとバトラーツが埼玉中心でやってまして、越谷や北千住とやってきたんですけど、なかなか新宿とか東京でやることがなかった。ボクが生まれが東京なので地元のともだちとかにも見せたかったし、あとはバトラーツの闘いはこうなんだというものを表に出したかったんです。自分らが言われてショックだったのは、出来レースなのとか、八百長なのとか、そういうことも聞かれました。だからそう言う人にこそ実際に生で見てもらいたかった。総合格闘技がブームになったとき総合のすごさもありますけど、プロレスのすごさというものを見てもらいたかった。見たこともないのにそういうこと言ったりもするので実際に自分らの闘いを見て、実際に目で見たどんな感想を持つのか聞きたかったんです。実際に(自主興行を)9回やってきて、昔からのファンから耳に入るのは昭和のプロレスをありがとうって言葉ですよね。いま、ボクらが入門したときとはかけ離れた考えの若い子たちが増えてますけど、昭和のプロレスもまたおもしろいんだよって。昭和の闘いというか、セメントという闘いがあったりとか、業界用語みたいな感じですけど、カラダを本当に鍛え上げた人間が上がって殴り合っても倒れない、技を真正面から受けてそれでも立ち上がっていくというもののすごさをリングからお客さんに伝えていきたかったんです」

――そういう意味でも、引退興行はプロレスラーとしての集大成になりますか。
「そうです。集大成ですね」

――いろんな選手が出場しますが、参戦メンバーはどういう基準で?
「たとえば、金村キンタローさん、黒田哲広さんはボクらがやってるプロレスとはまたかけ離れたプロレスというか。どっちかというとハードコア、ボクらはバチバチ。日本のプロレスというのは本当に幅広いなというものを全体的に見せていきたいんですよね」

――そういうことでアパッチの金村、黒田選手も入っていると。
「ハイ。金村キンタローさんのプロレスを見て、おもしろいんですよ。笑いも出るし、それでプロレスのすごさ、レスラーの打たれ強さも全面的に伝わるんですよね。お客さんはU系が見たい、ふつうのプロレスが見たい、バチバチが見たいといろいろありますけど、結局そのなかで見たところで、U系もふつうのプロレスもハードコアもバチバチも含めて盛り上がったもの勝ちかなと。プロレスでのジャンルもみんな違いますし、いろんなスタイルがありますけど、クラシックなプロレスとか、ハードコアがあったりとか、ド突き合いがあったり、バチバチがあったり、寝技の攻防戦があったり、プロレスの奥深さ幅広さを全面的に出した人をひとつの興行にまとめたいと思って」

――ハードコアのレスラーがいるなかに、藤原組長も参戦すると。
「そうですね。また藤原組長は奥深いというか、Uスタイルもできればふつうのプロレスもできれば、幅広くできるんで」

――組長は今回ハードコアのなかに入っていくことになります。
「60歳を過ぎてるし、一般の人から見たら大丈夫なのと思うじゃないですか。でも年齢を感じさせない動きと若さというんですかね、それはある意味ボクらも勉強になりますし、ある程度の年齢を越えた方々も喜ぶと思う。また、やる気や勇気とか明日も頑張ろうという、そういうものがリングから伝わっていくんじゃないかなと。プロレスラーって何歳でもできるって言われますけど、決してそうじゃない。そこはあのリングに上がったものにしかわからないと思うんで。やっぱり練習してないと何歳でもできる仕事ではないと思うんです。過去の貯金があって、そこにまた過去の経験があってこそできるもの。60歳過ぎてなにもバックグラウンドもなくこれからプロレスラーになりますと言われてもなにができるんだという話になるんで。やっぱり本当にできる人間があのリングに立たないといけないと思います」

――プロレスラー、竜司ウォルターとはどんなプロレスラーでしたか。
「簡単にいうとケンカプロレスというか、そういうレスラーだったと思います。日本ではケガして騒がれたりしてますけど、(自分の試合は)ほとんどケンカというんですかね、平成のテロリストと言われる村上和成さんとバトラーツで闘ったことありますけど、やっぱりプロレスって先ほど言いましたけど奥深い。お客さんに寝技をみせたところで喜ばれるかといったら必ずしもそうではないし、そこにハイブリッド性が出るから喜ばれることであって。寝技だけでコツコツやってるだけならお金返せってことにもなっちゃいますし、やっぱり殴り合って激しい闘いというのは日本ならではだと思うんですよ。もしアメリカで同じことやったらクビになっちゃうような話なんで(苦笑)」

――寝技だけ、殴るだけならお客さんにもウケないと。
「ええ。ボクにはテンペストドラゴンっていう名前(ニックネーム)があるんですけど、テンペストとは激しい嵐という意味。リングでは本当に激しく殴り合っていくという、そのなかで寝技がきても対応できるというか。でも基本的には殴って蹴ってのバトラーツでおぼえてきたものを前面に出していくという試合ですね。それが自分らしい闘い。いきなりロックアップから始まるプロレスラーもいますし、ボクらはいきなりビンタから始まっていくようなそういう打撃から始まっていくような闘い。そういう闘いを次の10回目の自主興行でやりたい。引退試合になりますけど弱々しいプロレスはしたいと思わないので、相手にもケガする覚悟でリングに上がってこないと、引退するからと思って上がってきたらケガするよって、それがボクの考えるプロレスですね。お笑いプロレスとかいろいろありますけど、お笑いはお笑いで、ボクらは本当のプロレスを見せていきたいというか、ボクらを教えてくれた先輩方が伝授してきた、いままでプロレスで培ってきた技っていうんですかね、日本で作り上げてきたストロングスタイルとかそういうものを全面的に出していきたいというか。飛んだり跳ねたりのプロレスもありますけど、ボクらはどっちが最後まで立ってられるか、どっちが先に10カウントを数えられちゃうかっていう、それで関節極められてギブアップするのか、それともロープに逃げてもう一回逆に返して関節技を極めていくのか、そういう攻防戦を見せたいと思います」

――これまでやってきたことを出し切りたい。
「そうです。もちろんアメリカで学んできたクラシックなプロレスも。ボクの師匠であるディーン・マレンコさんのやってきたプロレスを、もちろん自分も出していこうと思ってますし。そのマレンコ魂というんですかね、そういうものを見せられれば。マレンコ道場って友だちいないんですよ、みんなライバル心がすごくて。で、本当にマレンコ道場からUFCに行く人もいて、WWEに行く人もいまして、また日本で活躍する選手もいます。そんななかで、みんな足引っ張りあいなんですよ、落としあいというか、自分が上がっていくという。マレンコ道場を出てから友だちになった人はいっぱいますけど、道場内では競争ばっかりで。スクワットを1000回やれば、相手が2000回やって。だったら3000回やるというほどライバル心がすごかったんです。亡くなられてカール・ゴッチ先生や、西村修選手もよく来ていました。スパーリングでは45分ノンストップとか。それも15分おきに選手が替わるんです。15分ごとに元気な選手が出てきてノンストップでやるんです。練習しているときに脱水症状になるんですよね。だけど西村選手は水なんていらない、このまま続行するんだと。水は終わってから飲む。そういうものからプロレスで根性を学びましたね。耐える根性、前に進む根性、いろんなものを学んでいきました。そのすべてを最後に出せればと思っています」

「The Tempest Dragon竜司ウォルター引退試合」
★8月23日(日)東京・新宿FACE(18時試合開始)
【対戦カード】
第1試合
小坂井寛vs山本裕次郎
第2試合
SEIYA(竜司TEAM)vs三州ツバ吉
第3試合
中村大介(元DEEPライト級王者)vs那須晃太郎
第4試合
NORI(竜司TEAM)vs柴田正人
第5試合タッグマッチ
藤原喜明(藤原組)&宮本和志(宮本組)vs金村キンタロー&黒田哲広(アパッチプロレス軍)
第6試合
スーパー・タイガー(リアルジャパンプロレス=レジェンド王者)vsブラック・タイガー
第7試合
鈴木秀樹(第4代WRESTLE―1王者)vs若翔洋(元大相撲関脇)
メインイベント
竜司ウォルター(元格闘探偵団バトラーツ)vs原学(U−FILE王者)

■大会名:「The Tempest Dragon竜司ウォルター引退試合」
■日時:8月23日(日) (18時試合開始)
■会場:東京・新宿FACE

チケットの詳細はこちら

2015-08-13 13:02 この記事だけ表示

 28日、東京・興義館でリアルジャパンプロレスの平井丈雅代表が記者会見を行い、心臓を痛めて試合を欠場している初代タイガーマスクの病状を発表した。

 初代タイガーは3・20後楽園ホール大会での曙戦の後に心臓の痛みを訴え、安静に努めていたが、その後の状況は思わしくなく、ドラディションの5・11後楽園ホール大会を緊急欠場。数日間の精密検査の結果、5月21日に緊急入院し、翌日22日に手術を行った。

 検査の結果、心臓に繋がる冠動脈の1本が細くなっており、血流が詰まる状態となっていたため、心臓カテーテル手術(PCI経皮的冠動脈形成術)を行った。手術中にもう1本の動脈も細くなっていることがわかり、計2本の冠動脈をカテーテルで広げる手術を実施。4時間にわたる治療の末、無事に終了した。

 翌23日に再び精密検査を行い、術後の容体も安定。病院側からは1週間の入院を促されたが、初代タイガーは自宅での静養を希望し、自宅での絶対安静が条件で24日午後に退院した。今後は10種類以上の薬を飲みながら、1週間に最低1回のペースで精密検査を行い、術後の経過を見ていく予定だ。ただ、まだ痛みや動悸が残る状況で、当初は今回の会見にも出席する予定だったが、状態が思わしくなく大事を取って欠席となった。

 最終的に「狭心症」と診断されたが、原因は不明だという。ドラディションの後楽園大会を欠場した際には、曙戦でのボディプレスをキッカケにした心臓疾患と発表されたが、その後の調査で初代タイガー自身が子供の頃に心臓病を煩ったことも発覚。また、曙戦の前に激しいトレーニングを積み過ぎた(10分×10R等)ことも原因のひとつとして考えられるようだ。

 初代タイガーは「ご心配をおかけして、申し訳ありません。一刻も早く病気を治して、皆様の前に姿を出せるようにしたいです」と前向きな姿勢を見せているが、回復までにどのぐらいの時間がかかるか目処がたっておらず、復帰できるかどうかも現時点は不明。10周年記念となる6・11後楽園ホール大会にも来場を希望しているが、検査の状況次第で実現するかどうかは未定だ。

 「いつもより力のない声ではあるけれど、早く治して元気な姿を見せたいと言っている。精神的には早く治すという強い気持ちは感じている」と平井代表。一日も早い回復が待たれるところだ。

2015-05-29 20:42 この記事だけ表示