旗揚げから、今年の4月で遂に5周年を迎えることになったKAIENTAI-DOJO。2002年の旗揚げから、常設会場の設置、料金後払い制興行、2リーグ分割と、独自の手法でプ
ロレス界でも注目を集めてきた団体である。そのKAIENTAI-DOJOを率いているのがTAKAみちのくだ。世界最高峰のプロレス団体・WWE(当時WWF)でもその実力を認められた男のプロレス人生とは? これまで歩んできた道のりと、自身が率いる「KAIENTAI-DOJO」の魅力について、一気に語り尽くす第2弾!

★「KAIENTAI-DOJO」の大会詳細とチケットのお申し込みはコチラ!2・24(土)『CLUB−K TOUR in NAGOYA 』、2・25(日)『CLUB−K TOUR in OSAKA 』、【KAIENTAI-DOJO 6周年記念興行】4・8(日)『CLUB−K SUPER ev.6』後楽園ホール大会

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【ATAKAみちのく、東北から海外に飛び出す!】

──画期的すぎるほどのアイディアでしたよね。
TAKA でも、自分に迷いはなかったですよ。自分の地元も東北だったから、「これは
面白いな」と思って迷わず行きましたね。何をやるにしてもプラス思考なんですよ。
失敗したらどうしようとか一切考えずに、「俺がやるんだから、失敗はないよ」って
究極のプラス思考で、迷わずみちのくに創立メンバーとして参加しました。で、旗揚
げしてからはトントン拍子でしたね。みちのくプロレス自体も話題になって注目され
ましたから。
──テレビでも取り上げられていましたよね。
TAKA で、みちのくが1年ぐらいして軌道に乗ったぐらいの時に、あの伝説の第1回の
『スーパーJ-CUP』という大会があったんですよ。
──当時の各団体のジュニアのトップどころが、団体の垣根を越えて一堂に会して、
トーナメント戦を行った大会ですよね。1994年に開催された第1回は新日本が主催し
たんですよね。
TAKA ちょうど、そこに自分がディック東郷の代打として出たんですよ。それがきっ
かけで名前も知られるようになって、新日本のシリーズにも参戦したんですよね。で、
自分がデビューした時にプロレスラーとしての最終的な目標を立てていたんですけど、
「引退するまでに一度でいいから新日本に上がって、ライガーさんと闘う」と。それ
が最終目標だったんですよけど、それをデビューから1年半でクリアしちゃって(笑)

──あっさりと最終地点に到達!
TAKA 自分の中では新日本プロレスって、雲の上の天国に近いような団体だったんで、
そこに出たいという思いがあっという間に叶っちゃって(笑)。
──一躍、知名度が上がりましたよね。
TAKA だから、ホントに自分の中では新日本プロレスに上がったっていうのは大きな
ことだったんですよ。でも、大変でしたね、そのシリーズは。同じジュニアって言っ
ても、自分より全然でかいし、基礎体力も違うし、「うわ〜、なんて所に来ちゃった
んだろう」って思いましたもん(笑)。ホントに血を吐きそうな毎日でしたね。ただ、
その時のシリーズが3週間だったんですけど、それを乗り切ったことは凄い自信には
なりましたね。それに、憧れだった『ワールド・プロレスリング』にも出られて、雲
の上に乗るような気持ちになりましたから。
──目標も達成したし、夢も叶ったわけですからね。
TAKA ただ、その頃はみちのくプロレスもルチャ主体で、飛んだり跳ねたりしていた
んですけど、ユニバーサルで生まれた「これがプロレスか?」っていう疑問が、新日
本プロレスに出会ったことでさらに深まったんですよ。
──またも疑問が頭をもたげたと。
TAKA 大谷晋二郎とかその辺とバッコンバッコンやり合ったりしていると、「みちの
くプロレスでやっているのはなんなんだろう?」っていう葛藤が自分の中で出てきま
したね。だから、新日本に出たり、バトラーツの元である藤原組、それからFMW、と
にかくいろんな団体に出て、学ぼうと。FMWに出たらデスマッチをやって血まみれに
もなったし、バトラーツとか藤原組に行ったら、関節技でボロボロにされたし、そん
なことをしながらいろんなことを追求してましたね。
──だって、パンクラスにまで出ましたもんね。
TAKA 出ましたね、なんかの間違いで(笑)。当時、まだ20代前半でもの凄く好奇心
が旺盛だったんですよ。全てを吸収しようとして、あらゆることに手を出してました
ね。でも、そんなふうに活動をしているうちに、今度はコンプレックスができてしまっ
たんですよ。
──コンプレックス?
TAKA みんなでかいんですよ。新日本じゃなくても、FMWに行けばグラジエーターと
かアホみたいにでっかい奴もいるし、「俺はプロレスラーなのかな?」っていう疑問
が出てきたんですね。
──ほほう。今度は体格的なコンプレックスですか。
TAKA 今でこそ、みんな小型化してますけど、当時はみんな180cmが大前提みたいな
世界でしたからね。「俺なんかプロレスラーって言っていいのかな?」って凄く自信
をなくしましたね。でまあ、いろんな団体に出ているうちに、「何かが足りない」っ
て思い始めたんですよ。そこで思い付いたのが、海外遠征だったんです。
──海外遠征!
TAKA 日本の団体ではやり尽くしたし、みんな海外に行ってたくましくなってくるし
ね。それで、海外に行こうって考えたんですよ。で、メキシコに行ったんですけど、
それがもうとんでもない地獄でしたね(笑)。行ってたのは半年ぐらいだったんです
けど、85kgあった体重が60何kgまで落ちちゃって(笑)。
──ええ!? 20kgも落ちちゃったんですか?
TAKA もう、げっそりですね。いろんなアドバイスをされていたんですよ、「あっち
の食い物は危ないから、水を飲むな。屋台のタコスは食うな」って。実際、水は飲ま
なかったんですよ。住んでいた所の水道水をコップに入れると、肉眼で虫がうようよ
しているのが見えるぐらいだったんで(笑)。
──それは明らかに危ないですね(笑)。
TAKA 「これは飲めねえな」って(笑)。でも、屋台のタコスっていうのが、安くて
うまいんですよ。それで、ガンガン食っちゃったんですけど、全然大丈夫だったんで、
「俺はメキシコに合ってんだな」って、またプラスに考えちゃって(笑)。
──全然平気じゃねえかと(笑)。
TAKA そうしたら、1ヵ月後ですよ。待ってましたと言わんばかりに急にクワーッと
きて、止まらないんですよ、下痢が(笑)。そっから帰るまで、ずっとですね。飯も
食えないくらいになっちゃって、階段を上ったりするとフラフラしてましたからね。
──せっかくたくましくなろうと思って行ったのに(笑)。
TAKA あれは地獄でしたね。でもまあ、そのメキシコにいる時に別の道が開かれたん
ですよ。サスケがWWF(現WWE)デビューするって話になって、そのデビュー戦の相手
としてメキシコにいた自分を呼んだんですね。
──サスケさんのプロモーション用の試合の相手ということですよね。
TAKA それでサスケとカナダで試合を2連戦したんですけど、ぶっちゃけ自分のほう
が評価が高かったんですよ(笑)。サスケの見た目も悪かったんですよ。全身黒装束
で、どう見ても向こうの人には悪者にしか見えないですからね(笑)。
──ガッハハハハ! 東北の英雄はカナダに行ったら、悪者でしたか(笑)。
TAKA 体調もあの頃のサスケはかなり悪くて、技にキレがなかったんで。ちょっと下
痢をしてたけど、ピョンピョン飛び跳ねていた自分のほうが目立っちゃって。そして、
サスケが入るはずだったWWFに自分が入ってしまったんですよ(笑)。その時のサス
ケとの人間関係のゴチャゴチャはいろいろありましたね(笑)。
──サスケさんの心中は穏やかじゃなかったでしょうね(笑)。
TAKA でも、自分では断っていたんですよ。
──WWFとの契約をですか?
TAKA 何が嫌だって、ホントに嫌だったんですよ、それ以上海外にいるのが。ある程
度メキシコっていうものも体験していたし、これだけ地獄を見ればいいだろうと。自
分の中で完結させて帰ろうとしていたところだったんで、WWFの契約も5年とか言われ
て、魅力的かなとも思ったけど、海外にこれ以上いるのは嫌だなと思っていたんです
よ。

★インタビューBに続く!

(情報提供:DSE)

重大発表! ハッスルがDSEから独立

高田総統が全権を掌握!?

2月1日(木)東京・青山のDSE事務所にて、今年初となる記者会見が行われた。会見には高田総統が出席し、DSEからハッスルを買収したことを発表した。全権を握った高田総統はこれからハッスルをどう変えていくのか? その全貌が本日の会見で明らかに!?

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 いよいよ3月からハッスルは新章に突入!? これからハッスルはどういった展開になるのか、マスコミもハッスルファンも注目する中、今年初となる記者会見が行われた。
 会見場に登場した坂田GMWであったが、いつも通りの威張り腐った様子が微塵も見られない。存在感は小さく憔悴しきった表情である。続いて登場したのは島田二等兵だ。こちらはいつも通りのはしゃぎっぷりで「これから高田総統がここにお見えになられて重大な発表をする! 新聞マスコミは一面トップに持ってくるように!」と相変わらず無茶な要望をマスコミ陣に突きつける。
「ソートーソートー」コールの中、高田総統が会見場に降臨! 役者が揃ったところで、口火を切った坂田GMWは「今年一発目の会見がまさかこんな形になるとはな……。今日はお前らにとても残念な知らせがある……」と無念に満ちた表情で話し始めた。
 すかさず高田総統は「おい! 何が残念なんだよ? 今日ほど、めでたい日はないじゃないか。貴様、決まったことをいつまでもウジウジ言うんじゃないよ…下がってろ!」と一蹴する。

 「『人のフリ見て、我がフリ直せ』とは、うまいこと言ったな。ここぞとばかりに、捏造(ねつぞう)で話題の某番組を目の仇にしているマスコミ諸君! 君たちに聞きたいことがある。君たちは、おもしろくしたいばっかりに思わず、記事を捏造しちゃったりしたことはないのか? ん? 一度たりとも『ない』と誓って言えるのか…?」と時事ネタを早くも絡めてくる高田総統。そして「我こそが高田モンスター軍総統・高田だ!」といつも通りのテンションの高さで挨拶だ。
 ここから、会見の本題が高田総統の口から発表されることに!「突然だが、私はこの度、このDSEに属するハッスル事業局にM&Aをかけたんだよ。わかりやすく言えば買収したということだ。なぜならば、我がモンスター軍とハッスル軍の決着はすでについている。よって、これからは、高田モンスター軍=ハッスル、になるということだ!」
 高田総統は、2004年のハッスルのスタート以来、常々、日本のプロレス界を壊滅させると宣言してきた。そして昨年末をもって、そのミッションは全て終了したということになる。
「これからは、プロレスとは違う、“ハッスル”という新たなジャンルを確立することが我々のミッションとなる」と高田総統がハッスルの全権を掌握したことを明らかにした。よってGMだった坂田亘は平社員に降格、加藤(A)GM代行や岸本2代目PRの上司が、高田総統ということになる。
「おい。そこの平社員! クビになりたくなかったら、マスコミ諸君に、私のプランを捏造なしで教えてやりたまえ」と坂田にフリップを持たせ、これからのプランを説明させる高田総統。その内容は3つ。

1、ハッスルは、高田総統を最高責任者としてDSEより独立する。

 今までハッスルは、中立の立場であるDSEが運営していた。しかし、ハッスル事業局を高田総統が100億モンスタードルで買収したために今後は、新組織として独立し、高田総統指揮の下、運営されていくことになる。つまり、「ハッスル」は高田モンスター軍によって完全に制圧されてしまった。
 悔しそうな表情を見せる坂田は「もちろん、制圧とはいえ、引き続き俺様がGMとしてハッスルを改革していくつもりだ」と高田総統にプチ反抗。すると高田総統は、「おい。キミは事の重大さがわかっているのか!? 私は君をGMにするとは一言も言ってないぞ。GMなどという中途半端なポジションは、新しいハッスルには必要ないんだよ!」と一刀両断だ。

2、新生ハッスルでは、高田モンスター軍、坂田軍団、ハッスル軍の座組みを解体する。

 高田モンスター軍とハッスル軍の抗争は完全に決着がついている状態。存在意義の消えた両軍がこれ以上抗争を続けていくのは無意味。これからは、全てのレスラーが高田総統に忠誠を誓うことになる。ハッスルしてる奴だけが生き残る、厳しい生存競争の場になりそうだ。
「いいか。これからは、名前だけの奴、ヘコヘコ媚びを売っている様な奴は全く持って通用しねえ。総統は恐らく実力があるヤツしか好きじゃないだろう。つまり、俺様にとっては好都合な時代がきたってわけだ」と坂田はどこまでも強気なところを見せる。

3、新タイトルを設立する。

 まだ詳細は発表されていないが、新設が予定されるタイトルは、単なるお飾りではなく、他団体のようなのチャンピオンベルトとは違うものとなる。
「実力も当然だが、ファンからも認められなければ獲ることができねえ、画期的で真に価値のあるタイトルだ。もちろん初代王者はこの俺様に決まってる」と意欲を見せる坂田だった。
 平社員の坂田が一通り説明し終わったところで、高田総統は「この話は、旧ハッスル軍の連中には伝わっているのか?」と疑問を投げかける。今、ハッスル軍は活動休止中で連絡がつかない状態。“キャプテン・ハッスル”小川直也は、打倒エスペランサーのためにハッスル星に行ったきりだ。
 その情報を耳にした高田総統は「私が全権を握る以上、全てのマッチメイク権はこの私が握っている。私に楯突く奴は、ハッスルのリングには上がれないということだ。坂田君も旧ハッスル軍の諸君は、そのことをよーく考えたまえ」と、笑いが止まらない様子。
 続けて「私が創り出す“ハッスル”には、成功へのチャンスがそこら中に転がっている。ハッスルできる自信があるならば、誰でもチャレンジしてくるがいい。私のハッスルに大いに期待してくれたまえ。バッドラックだ!」そう言った高田総統は颯爽と姿を消したのだった。
 ハッスルの立ち上げ人である小川不在のまま決定してしまったハッスルのこれから。一体ハッスルはどうなっていくのか? HGやニューリン様は一体どうするのか? 新章に突入する3月大会に注目せよ!


 旗揚げから、今年の4月で遂に5周年を迎えることになったKAIENTAI-DOJO。2002年の旗揚げから、常設会場の設置、料金後払い制興行、2リーグ分割と、独自の手法でプ
ロレス界でも注目を集めてきた団体である。そのKAIENTAI-DOJOを率いているのがTAKAみちのくだ。世界最高峰のプロレス団体・WWE(当時WWF)でもその実力を認められた男のプロレス人生とは? これまで歩んできた道のりと、自身が率いる「KAIENTAI-DOJO」の魅力について、一気に語り尽くす!

★「KAIENTAI-DOJO」の大会詳細とチケットのお申し込みはコチラ!2・24(土)『CLUB−K TOUR in NAGOYA 』、2・25(日)『CLUB−K TOUR in OSAKA 』、【KAIENTAI-DOJO 6周年記念興行】4・8(日)『CLUB−K SUPER ev.6』後楽園ホール大会

★TAKAみちのく が参戦するビッグマッチ『Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION 旗揚げ記念日 』 3・6(火)後楽園ホール大会の詳細とチケットのお申込はコチラ!<CTU MUTATION>邪道(CTU)、外道(CTU) vs TAKAみちのく(K−DOJO)、ディック東郷(フリー)

【異例のスピードデビュー!? プロレスラー・TAKAみちのく誕生!】
──今日はTAKAさんにご自分のプロレス人生を振り返っていただこうと思うんですが、
まずプロレスに目覚めたきっかけは何だったんですか?
TAKA 自分が小学校の頃、当時週刊少年ジャンプで連載していた『キン肉マン』って
いう漫画が大ブームで、凄い人気があったんですよ。
──ボクもキン消し集めていましたけど、もの凄い人気でしたよね。
TAKA それを子供心に「凄いな、格好いいな」って見ているうちにプロレスに繋がっ
ていきましたね。あれはプロレス漫画というか格闘技漫画だったじゃないですか? 
それがプロレスを好きになったきっかけですね。
──きっかけはキン肉マンでしたか! キン肉マンが入口っていう人は多いですよね。
TAKA タイガーマスクかキン肉マンなんですよね。
──そこが微妙な世代の分かれ目ですよね。で、そこから本物のプロレスを見るよう
になったと。
TAKA そうですね。自分は岩手にいたんで、地方巡業なんてほとんど来ないし、小学
校の時はテレビでしか見られなかったんですね。で、見始めた時はちょうど長州(力)
さんが全日本プロレスに出始めた頃で、2代目タイガーマスクの三沢(光晴)さんが
全盛だった頃なんですよ。
──長州さんが新日本プロレスを出て、ジャパン・プロレスを率いて全日本に乗り込
んでいた頃ですね。
TAKA 自分はそこが入口なんですね。だから、その長州さんと三沢タイガーに凄く惹
かれて、そっからガーッとのめり込んでいきましたね。
──キン肉マンから全日本プロレス、長州力、タイガーマスクという流れですね。で、
そこからプロレスラーを目指そうと思われたわけですか?
TAKA はい、見てたらプロレスをやりたくなるわけですよ。それで、家や学校でプロ
レスごっこをやって、普通はそこで終わっちゃうんですけど、その気持ちがドンドン
大きくなっていって、ホントになってしまったという単純な理由です(笑)。
──なるほど。では、その道のりをお聞きしたいんですけど。
TAKA 中学に入って、「俺は将来、何をやりたいんだ?」って考えた時に、「プロレ
スをやりたい」と。で、その頃は身長が150cmぐらいしかなかったんで、「じゃあ、
身長を伸ばすか、体を鍛えよう」って思ったんですよ。で、柔道部かバスケットボー
ル部かっていう2つの選択肢があったんですけど、柔道部だと「受け身も大事だけど、
身長が伸びるのかな?」っていう疑問があったんですね。「若い段階で筋肉を付けた
ら、背が伸びない」って言われたことがあって(笑)。それで、「バスケットやれば
背が伸びるよ」っていう話を聞いたんで、その単純な理由でバスケ部に入ったんです
よ。実際に成長期にピョンピョン跳ねていたせいか、ガーッと伸びたんですよ。ただ、
それでも170前後だったんですけどね。
──もうちょい欲しいところですよね。
TAKA それでもまあ中学で背は伸びたと。で、高校に入るに当たって、じゃあ「次は
体力だろう」って考えてたら、レスリング部のある学校が自宅の近所にあったんです
よ。それだけの理由でその盛岡工業高校っていうのを選んで、レスリング部に入りま
したね。
──まずはレスリングありき(笑)。
TAKA はい(笑)。高校のレスリング部時代に身長も174〜5ぐらいになって、ある程
度体もできてきたんですよ。で、「じゃあ、いよいよレスラーになろう」っていうこ
とで、ユニバーサル・プロレスっていう団体に入門したんですけど。
──当時は今と違って団体がそれ程なかった時代ですけど、ユニバーサルという団体
を選んだ理由はなんだったんですか?
TAKA どこでも良かったんですよ(笑)。たまたま岩手のケーブルテレビでユニバー
サル・プロレスの放送をやっていたんですけど、それを見たのがきっかけですね。も
う、全然、知らない世界だったんですよ。全日本、新日本、UWFといったガチガチの
プロレスを見て育っていますからね。それが、ユニバーサルを見たら、レスラーがピョ
ンピョン飛び跳ねていて、マスクマンがいっぱいいて、もの凄く華やかに見えたんで
すね。その華やかなところに憧れちゃいましたね。で、「俺、これをやってみたいな。
目指すものに近いんじゃないか?」って思っていたら、当時MASAみちのくという名前
でやっていたザ・グレート・サスケが岩手県出身というのを聞きまして。
──同郷の人がいたと(笑)。
TAKA それで「これは俺が行く所だな」ってますます思っていた時に、たまたまテス
トがあって、それでテストを受けたらすんなり入れたんですよ。
──また、トントン拍子に道が決まっていきましたね(笑)。当時のユニバーサルには
どんな方がいらっしゃったんですかね?
TAKA サスケ、スペル・デルフィン、今のディック東郷がいましたね。自分が入った
時は、ウルティモ・ドラゴンの浅井(嘉浩)さんが抜けた後だったんですよ。
──なるほど。デビューしたのいつ頃なんですか?
TAKA 1992年の春に入門して1992年の9月にデビューなんで、異例のスピードデビュー
なんですけど、これはべつに自分がずば抜けていたっていうわけじゃないんですよ。
来る予定の外人が来れなくなって、欠員ができちゃったんですよ。それで、たまたま、
自分がユニバーサルの代表の新間(寿恒)さんに気に入られていて、レスリングの下
地があったんで、「おまえ、できるだろう」って(笑)。それで、急遽デビューしたん
ですよ。
──随分、気軽ですね(笑)。
TAKA いくらなんでも、プロレスとアマレスって違うじゃないですか? 3ヵ月ちょっ
とでできるわけねえなって思ったけど、とりあえずデビューって言われて嬉しかった
んで頑張りましたね。今でも覚えてますよ、デビューの後の新間さんの言葉を。「お
まえ、もっとできると思ったんだけどなあ」って(笑)。
──ムチャクチャ言いますね(笑)。
TAKA でも、やっぱりマスコミにも酷評されたんですよ。体もできてくなくて、当
時70キロぐらいしかなかったですからね。でも、逆に酷評されたことで「今に見てろ
よ」っていう気持ちが強くなりましたね。ただ、見る時は楽しかったんですけど、や
る側になってルチャっていうのをやってみたら、なんか自分の中に葛藤が出てきたん
ですよね。「これ、プロレスか? これが闘いか?」っていう。
──ルチャに対して疑問が頭をよぎってしまったと。
TAKA でも、プロレスラーになるのが夢だったから、デビューできたことが嬉しくて、
とりあえず続けていたっていう感じですね。現実問題として裏のいろいろ大変な事情
もあって、お金も払われなくてバイトをしていたんですけど、「いつか見てろよ。こ
れで有名になって食えるようになってやる」っていう思いだけで生きてきましたね。
──なるほど、このユニバーサル時代にハングリー精神が培われたわけですね。で、
ユニバーサルから間もなくして、みちのくプロレスに移るわけですよね。
TAKA デビューして3〜4ヵ月の頃ですね。自分が入った頃はもうユニバーサルは崩壊
寸前だったんですよ。で、遂にサスケが動いて東北にみちのくプロレスを作るという
ことになったんですね。今でこそ、ローカル団体はたくさんあるけども、当時として
は画期的なことだったんですよ。

★インタビューAに続く!