旗揚げから、今年の4月で遂に5周年を迎えることになったKAIENTAI-DOJO。2002年の旗揚げから、常設会場の設置、料金後払い制興行、2リーグ分割と、独自の手法でプ
ロレス界でも注目を集めてきた団体である。そのKAIENTAI-DOJOを率いているのがTAKAみちのくだ。世界最高峰のプロレス団体・WWE(当時WWF)でもその実力を認められた男のプロレス人生とは? これまで歩んできた道のりと、自身が率いる「KAIENTAI-DOJO」の魅力について、一気に語り尽くす!

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【TAKAみちのくの拘り、それは純プロレス!】

──(前半からの続き)もう少しGETとRAVEの2つに分けた理由を詳しく聞きたいんで
すけど?
TAKA 結局、30人いると、6人タッグとか8人タッグとか、バトルロイヤルとかになっ
ちゃって、シングルマッチの経験を全然積ませられないんですよ。人数が多いと、流
れのいいテンポのいい試合ができるんですけど、それだと流れ作業になっちゃうんで
すよね。やっぱり、闘いって1vs1が基本じゃないですか?
──そうですね。
TAKA 自分がみちのくにいた時がそうだったんですよ。ルチャ的な動きで6人タッグ
とかでポンポンやっていたら受けたんですけど、いざシングルをやったら動けないん
ですよね。経験がないから。これは小手先だけの技術になっちゃうなって思って、2
つに分けてシングルを重視することにしたんですよ。やっぱり、シングルって技術が
もろに出るんで、経験を積まないと上手くならないですからね。
──技術向上の目的もあったと。
TAKA 一番の目的はそれですね。で、年に1回身内で対抗戦ができたらなと。結局、
他団体との対抗戦になると、やった時はいいけど、やった後はなんもなくなっちゃう
んですよ。どっちかの団体に客が入るようになるかって言ったら、そんなこともない
ですし。だから、うちは技術交流でよその団体から来てもらうことはあるけど、大き
な規模での対抗戦はやってませんね。
──なるほど。それで純血だと。
TAKA あと、うちが大事にしているのは、純プロレスっていう言葉ですね。お客さん
を楽しませるのは当たり前ですけど、今どこを見てもそれに走りすぎてエンターテイ
ンメントだったり、飛んだり跳ねたりだったり、デスマッチだったり、芸能人を導入
したり、あとは「これプロレスなの?」っていうようなものまであったり、「どこま
で許されるのか?」っていう境界線がないんですよね。
──確かに走りすぎている部分もありますね。
TAKA それでお客さんが入っちゃった以上、「それもプロレスなんだ」っていう考え
もあると思います。でも、自分のところはあえてそういう流れの中で古き良きプロレ
スを守りたいっていうのがあるんですよ。
──古き良きプロレスですか!
TAKA 今は特に大きい団体なんかは、大技を連発して頭から落としたりする危険な攻
防が多いですよね。だから、自分は力道山時代とまではいかなくても、昭和のプロレ
ス、じっくりとした攻防のプロレスを残したいなと思っているんですよ。そう考えて、
うちは基本的な技で魅せるプロレスをちょっとテーマに掲げてやっているんですけど
……受けないですね(笑)。
──受けませんか(笑)。
TAKA そういうじっくりとしたプロレスが好きな人はいるんですけど、それ以上に
「KAIENTAIって地味でつまんない」っていう感想のほうが多いんですよね。だから、
お客さんも派手な攻防に見慣れちゃってんですよね。でも、それをやっちゃうとよそ
と同じようになっちゃうから、うちは地味と言われようともじっくりとしたプロレス
を追求していこうかなと思ってます。
──もしかしたら、そういうTAKAさんの考えを知っている人が少ないかもしれないで
すね。
TAKA 少ないです。でも、分かっていて見に来て、見たら「やっぱり地味だ」ってい
う意見のほうが圧倒的に多いんですよ。派手な攻防のほうが見やすいし、華やかなコ
スチュームを着てピョンピョンやってれば、「プロレスって面白いじゃん」ってなる
けど、それじゃあサーカスですよね。
──う〜ん、確かに。
TAKA で、現状として大きな団体がそれをやっているから、お客さんもそれに見慣れ
ちゃっているんだと思うんですよね。だから、昭和のレスラーの方々はそういう現状
に葛藤を抱いていると思いますよ。
──佐山聡さんなんかもそうおっしゃっていますよね。
TAKA で、自分は平成なのに珍しくそれを抱いていると。さっきも言いましたけど、
ユニバーサルを見て「ルチャが面白い」と思ったのに、いざやってみたらクエスチョ
ンだった。新日本に出た時にはみちのくとの違いを考えたり……。昔から自分は異質
だったと思うんですよね。郷に入れば郷に従えで、その団体のスタイルでやってきた
ものの、「何が正しいのか?」っていう葛藤が常にありましたからね。でも、正しい
ものなんてないんですよ。
──正しいものがない!
TAKA プロレスって、結局教科書がないですからね。逆に言えば、100人プロレスラー
がいたら、100の教科書があると思うんですよ。だから、自分が若い奴らに教える時
は、「5人教える人がいたら、5つの教科書があると思え」と言っているんですよね。
「何が正しいかって言ったら、全部正しいんだ。どれも間違えではないよ」と。で、
その中から自分に合ったものを選べばいいわけですよ。公式のルールブックや教科書
がない以上、そうじゃないですか?
──そうなっちゃいますよね。
TAKA プロレスって幅広いですからね。イスを使う試合もあるし、男が女の子と闘う
試合もあるし、こんなにバラエティに富んだスポーツはないと思うんですよ。逆に言
えば、それだからこそ奥が深くて面白いんだと思うし。ただ、自分はプロレスの古き
良き部分に拘りたいんですよね。
──それが純プロレスへの拘りですね。
TAKA 例えば、腕の取り方とかヘッドロックとかっていう基本的な技や攻防をお客さ
んにじっくり見せる。もし、それができたら、ボディスラム一発投げるだけでお客さ
んは湧くと思うんですよ。力道山時代なんかは、ボディスラムで「1、2、3」って入っ
て、ドカーンとなりましたから。そこまで戻せなくても、やっぱりうちはそういう古
き良きプロレスを残していきたいですね。時代に逆行していきたい。それが拘りです。
──拘りは大事ですよね。他団体との差別化を図るうえでも、独自の色も出さなきゃ
いけないわけですから。
TAKA その拘りがうちは純プロレスなんですよ。だからといって、よそを否定してい
るわけじゃないですからね。
──お弟子さんで、そのTAKAさんの考えるプロレスを体現されている方はいらっしゃ
るんですか?
TAKA そうですね。今、うちのチャンピオンの真霜拳號っていうのがいるんですけど、
彼は完璧ですね。もう、遙かに自分の上をいってますね。
──TAKAさんを超えてますか! 真霜選手はキック主体の選手ですよね?
TAKA なんかの拳法をやっていた人間なんでキック主体なんですけど、攻められる、
受けられる、投げられる、蹴れる、非の打ち所がない選手っていうのはこいつのこと
を言うのかなって思いますね。
──完璧だと!
TAKA 唯一、ダメって思うところはしゃべりができない(笑)。今の時代はしゃべり
もある程度必要な要素なんで。でも、それを差し引いても完璧だと思いますね。それ
と、そいつの前にチャンピオンだったJ・O・E“ザ・ハンサム”JOEっていうレスラー
がいるですよ。
──ハンサム様ですね(笑)。
TAKA そいつは実際に変な人気が出ちゃって、キャラ先行かなって思ってたんですけ
ど、自分が去年にシングルをやってみて、今までで一番理想と思える試合ができたん
ですよ。
──ハンサム選手と理想の試合ですか!
TAKA 30分近い試合の中で、これといった大技はなかったんですよ。ヘッドロックの
取り合いをしたりとか、1点集中の攻撃のみで30分いって、フィニッシュは雪崩式ブ
レーンバスター1発。
──シンプルですね。
TAKA その雪崩式ブレーンバスターはこれ以上の技ないんじゃないかっていうぐらい、
説得力のある1発でしたね。いや、あいつは知らないうちに育っていましたよ(笑)。
──確かに強烈なキャラなんで、それだけかと思われがちですけど。
TAKA それ以上でしたね。で、今では誰もやらないような技をやるんですよ。それで、
お客さんもどよめくんですよ。っていうことは、うちの後楽園ホールに来てくれてい
るお客さんはうちのスタイルを理解してくれて見に来てくれているんだなっていうの
が分かるんですよね。ホントに、ちょっとした切り返しでどよめきますから。
──ほほう。
TAKA だから、選手と共にお客さんも育てられたらいいかなって思いますね。今はこ
れぐらいの器しかないですけど、それをもっと広げていけたらって思います。まあ、
まだまだ全然ですけど、いい物は残ると思っていますから。残らなかったら、ダメだっ
たと思えばいいんで。で、今、PRIDEとかK-1の格闘技ブームじゃないですか?
──はい。
TAKA 格闘技は確かに刺激がありますけど、ブームっていうのは去るんですよね。プ
ロレスって根強いじゃないですか? なんだかんだ言ってもプロレスファンはいるし、
いずれ離れていったプロレスファンが戻ってきてくれたらなって思っているんですけ
どね。
──そのために古き良きプロレスを残しておこうと。
TAKA うちは会社の組織自体が小さくて、テレビでコマーシャルができるわけじゃな
いですけど、口コミで伝わる食堂とかラーメン屋みたいになれたらいいなって思って
います。自分は凄く好きなステーキ屋があるですよ、目黒のリベラっていうお店なん
ですけど。
──レスラーが来ることで有名ですよね。
TAKA ちょくちょく食べに千葉から遠いけど目黒まで行くんですよ。それはやっぱり
凄く美味しいし、好きだから。それと同じで、千葉は確かに遠いし、立地は悪いし、
駐車場もないですけど、やっぱりいいものを出していれば、お客さんは来てくれると
信じてます。

★独占インタビューE【夢のオールスター戦実現へ! TAKAみちのくの野望!】に続く!

旗揚げから、今年の4月で遂に5周年を迎えることになったKAIENTAI-DOJO。2002年の旗揚げから、常設会場の設置、料金後払い制興行、2リーグ分割と、独自の手法でプ
ロレス界でも注目を集めてきた団体である。そのKAIENTAI-DOJOを率いているのがTAKAみちのくだ。世界最高峰のプロレス団体・WWE(当時WWF)でもその実力を認められた男のプロレス人生とは? これまで歩んできた道のりと、自身が率いる「KAIENTAI-DOJO」の魅力について、一気に語り尽くす第4弾!

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【社長はつらいよ! KAIENTAI-DOJO日本逆上陸!】

──それで、海外での生活を終了させて、日本でKAIENTAI-DOJOを団体として旗揚げしたわけですけど。
TAKA いきなり人の上に立つことになっちゃったんで、それによる重圧なんかで凄い苦悩しましたね。
──悩まれましたか。
TAKA それまでの約10年間、1人で自由に羽ばたいてやってきたわけですよ。それが、いきなり下の人間ができちゃいましたからね。上に立つ者の気持ちなんか分からないじゃないですか? 1レスラーの頭しかないし、経営者としての経営能力なんかありませんからね。引き払ってきて、日本に帰ってきて会社作りました。それはいいんですけど、「で、興行ってどうやるの?」って(笑)。
──一番基本的な疑問にぶつかったわけですね。
TAKA みちのくの時にちょっとした営業はやったことがあったんで、会場を押さえてチケット売って、ポスター貼って、宣伝カーを回すぐらいかなって思ったんですよ。もう、興行をやれば客が来るって頭しかなかったですからね。それに、自分が海外に出る時って、プロレス黄金時代だったんですよ。
──いい時代でしたよね。
TAKA どこ行っても超満員で、みちのくプロレスなんかも後楽園で試合をやりますよって言ったら、5分ぐらいで完売してたような時期でしたからね。両国でも2回やったし、全国どこ回っても、そこそこ満員になっていたんですよ。新日本プロレスなんかもドームで年3〜4回やってましたよね。
──4大ドームツアーとかやってましたもんね。
TAKA その頭しかなかったんで、「じゃあ、これなら俺でもできるな」と。
──まあ、その時代を知っていると、そう思っても無理からぬことですけどね。
TAKA で、まあ「まず必要なのは道場だよな」ってことで道場を確保したんですよ。
──現在の千葉Blue Fieldですね。
TAKA そうですね。で、自分は普通に巡業するスタイルはもう古いなと思っていたんですね。いい物を出せば見に来てくれるはずだから、芝居小屋じゃないけども、サーカスとかみたいに拠点を一箇所に置いて、そこに毎週来てもらおうと。それで、道場を常設会場にしちゃったんですよ。
──非常に画期的なアイディアですよね。
TAKA その考えは日本に帰る前からあったんですよ。「絶対に常設会場を作ってやろう。これは日本初だぞ」って思ってたら、大阪プロレスに先にやられたんですよ(笑)。あれはショックでしたね。
──デルフィンアリーナですね。
TAKA 考えは自分のほうが先だったと思うんですけどね。しかも、あっちのほうが立派ですからね(笑)。
──でも、今でも常設会場を持っている団体は少ないですからね。まあ、それで常設会場も作ったし、いざ旗揚げと。
TAKA そうですね。とりあえず旗揚げ戦をやろうと思って、ある程度チケットを売って、成功したんですよ。後楽園が取れなかったんで、ディファ有明でやったんですけど、超満員になりまして。
──旗揚げ戦が行われたのは2002年の4月20日ですよね。いきなり成功しましたか。
TAKA 「やっぱり、興行っていうのは客入るじゃん」って思いましたね(笑)。で、4月は自分は出ていなかったんで、次は5月にまたディファで自分の復帰戦をやろうと。「前回は超満員だし、次は俺が復帰するから今回はチケットがなくなるんじゃないか」って思ってたら、半分ですよ(笑)。
──ええ!? 半減しちゃったんですか?
TAKA 「あれ?」って(笑)。「復帰戦なのに半分になったぞ? まあ、たまたま日が悪かったのかな?」ぐらいで、とにかくマイナスに一切考えなかったんですよ。
──プラス思考ですね(笑)。
TAKA 「じゃあ、次はせっかく千葉に常設会場を持っているんだから、そこでやってみよう」と。で、2デイズやったら、2日間とも超満員だったんで、「ほら、見ろ! 俺は間違ってねえよ」って思ったんですよ。
──初めてのBlue Field興行も大成功。
TAKA 「よし!」と思って、次の月も同じくビッグマッチを2デイズでやったら、今度はまた客がガタッと減ったんですよね。
──入ったり、入らなかったりとシーソーみたいですね。
TAKA で、「やっぱ千葉は遠いかな?」と思って、またディファに戻ったら、さらに落ちたんですよ。で、「あれ?」って思ったけど、その後にやった初の後楽園は超満員になったんで、「あ、やっぱりプロレスは後楽園なのかな」って思い直したんです
よ。
──この時点でもまだかなり楽観的ですね(笑)。
TAKA でも、まだ名もなき団体だったので、なかなか続けて後楽園は取れないんですよ。だから、「後楽園でも超満員になったし、またディファでやってもお客さん来るだろう」と思ったら今度はドンドン減っていく一方で、最終的には最初の5分の1ぐらいにまで減ってしまいましたね。
──う〜ん、なかなか軌道に乗りませんね。
TAKA だから、旗揚げした年の最後に「興行ってなんだろう? やればお客さんが来るんもんじゃねえんだな」って凄い考えましたね。そこで、初めて1レスラーから経営者としての頭が動き出したんですよ。
──やっと経営者モードに。
TAKA そっから試行錯誤して、いろんなことをやりましたね。今年で経営者になって5年になるんですけど、やっと、ちょこっとだけ分かってきたかなって。
──経営のことがですか?
TAKA 経営というか、お客さんの心理ですよね。お客さんは何が見たいのか、どうすればお客さんは足を運んでくれて、どうすればお客さんが離れていくのかっていうのが分かってきて、去年から急に白髪が増えました(笑)。
──ガッハハハハ! 社長はつらいですな(笑)。
TAKA 今までそんなこと考えたことなかったですからね。いつも、自分は目標を考えるんですよ。最初はライガーさんと対戦という目標を立てたんですけど、その都度立てた目標をクリアしてきたんですね。今の目標が自前で後楽園を満員にするなんですけど、まだ達成できてないですね。一昨年にドラゴンゲートの選手とかビッグネームを呼んだ時は、満員に近いところまで入ったんですけど、それを自前の選手だけで今
年中になんとかできたらなと思うんですけどね。
──今はメジャーと呼ばれる団体でも、後楽園を満員にするのは難しいですからね。
TAKA で、去年からうちはシステムを変えたんですよ。所属が30人近くいるんで、他団体勢を一切排除して所属だけでやろうと。ぶっちゃけ全日本プロレスなんかはフリーの集まりじゃないですか(笑)。
──所属は少ないですよね(笑)。
TAKA 純血でやっているのって、ノアとドラゲーとかぐらいですかね。それでも大きい所でやるには他団体のゲストを呼んでますから。これ、純血で後楽園を満員にできたら、うちは強いなって思って、純血に拘ってやっているんですけどね。
──その純血を生み出すのが、そもそもプエルトリコで作ったプロレススクールだと思うんですけど、そのスクール制は今でも続いているんですか?
TAKA まあ、学校とは言ってないけど、お金を取って入門させていますからね。結局、プロレスラーになりたい奴っていっぱいいるけど、体力に自信がないとか、なんの実績もない、体重も身長もないって奴が多いんですね。自分もそうだったんですけど、今はよりそういう夢の低い奴、志の低い奴、「テスト受けてもどうせ受からない」とか端から諦めている奴が多いんですよ。だから、とりあえずどんな奴でもチャンスを与えようと思って、うちはテストはないんですよ。入門するに際して年齢、経歴、一
切問わず。ただ、金は払えよと(笑)。
──ガッハハハハ! そこはキッチリ守れと(笑)。
TAKA 早い話が、それを商売にしてしまったと。だから、塾と一緒です。お金を払えば入れるけど、デビューできるか途中で辞めるかは自分次第。だから、門は広いんですよ。
──なるほど。じゃあ、デビューするまではかなり厳しく見るんですか?
TAKA いや、今は自分はノータッチですね。自分も教える立場から外れてまして、プエルトリコでやっていた時の1期生や2期生が教える役に回っていますね。自分が見るのは、デビューできそうな段階にきた人間を見て、プロデュースするぐらいですね。
あとはうちは毎週興行をやっているんで実戦経験は積めるんですよ。それに、よそとも交流はあるので、外にも出せますから、レスラーを育てる環境としては凄くいい環境だと思いますよ。
──確かにいいレスラーが育ってきてますもんね。
TAKA で、去年ぐらいから経営者としての頭がグワッと動いて将来を予想したんですよ、プロレス界の。今もう始まっているんですけど、絶対に出戻りブームが来るなと。
──出戻りブーム!
TAKA 1回出て行った奴らが戻ってきて闘うっていうパターンが主になっているなって思って、それだなと思ったんですよ。だったら、うちは身内でそれをやっちゃおうと。それで、WWEをマネたっていうのもあるんですけど、GETとRAVEっていう2つのグループに分けて、別々に興行をやっているんですよ。
──はいはい。WWEで言えば、『SmackDown!』と『RAW』みたいなもんですよね。
TAKA 同じ場所でやっているけど、時間をそれぞれずらして。それで、年に1回対抗戦をやったら面白いなって思ったんですけどね。元々、全部を3,000円で見られたものが、別々に3,000円払うわけですから、やった当初は不評で一時はガタッと客足が減ったんですけど、今は盛り返してきたんでね。やっぱり、これからは純血ですよ。

★インタビューDに続く!

旗揚げから、今年の4月で遂に5周年を迎えることになったKAIENTAI-DOJO。2002年の旗揚げから、常設会場の設置、料金後払い制興行、2リーグ分割と、独自の手法でプ
ロレス界でも注目を集めてきた団体である。そのKAIENTAI-DOJOを率いているのがTAKAみちのくだ。世界最高峰のプロレス団体・WWE(当時WWF)でもその実力を認められた男のプロレス人生とは? これまで歩んできた道のりと、自身が率いる「KAIENTAI-DOJO」の魅力について、一気に語り尽くす最終回の第3弾!

★「KAIENTAI-DOJO」の大会詳細とチケットのお申し込みはコチラ!2・24(土)『CLUB−K TOUR in NAGOYA 』、2・25(日)『CLUB−K TOUR in OSAKA 』、【KAIENTAI-DOJO 6周年記念興行】4・8(日)『CLUB−K SUPER ev.6』後楽園ホール大会

★TAKAみちのく が参戦するビッグマッチ『Circuit 2007 NEW JAPAN EVOLUTION 旗揚げ記念日 』 3・6(火)後楽園ホール大会の詳細とチケットのお申込はコチラ!<CTU MUTATION>邪道(CTU)、外道(CTU) vs TAKAみちのく(K−DOJO)、ディック東郷(フリー)


【あのビンスに『トラブルメイカー!』と言われた!】

──でも、結局はWWFに入るわけですけど、決断した決め手はなんだったんですか?
TAKA 最終的に提示された「これから軽量級部門を活性化させて、ベルトも新設する
」っていうことですよね。それで、「これはおいしいかも」と思って、契約しちゃっ
たんですよ。で、すぐにチャンピオンになったんですけど、そこからが苦悩の連続で
したね。ホームシックにもなるし、凄いハードなんですよ、スケジュールが。もう、
毎日のように辞めることを考えていましたね。
──せっかく世界最高峰の団体と契約したのに。
TAKA 表向きはあれほど華やかな所はないんですけど、日本人があそこに一人ポツン
といるのは凄く過酷でしたね。日本語しゃべれる人が誰もいないんですから。
──周りは英語ばっかりですもんね。
TAKA しかも、FMWとか新日本で見た以上の大男しかいないんですから(笑)。
──ああ。2m級ばっかりですもんね(笑)。
TAKA だけど、契約しちゃったし、できるところまでやってみようと思ってやってい
たんですよ。途中で日本で一緒にやっていた海援隊の連中も呼びましたし。
──そういえば、日本でユニットを組んでいた海援隊☆DXの皆さん(ディック東郷、
MEN'Sテイオー、フナキ)も後から合流しましたけど、あれはTAKAさんが呼んだんで
すか?
TAKA 呼んだのは自分です。ぶっちゃけ、自分がホームシックで仲間が欲しかっただ
けです(笑)。
──ガッハハハハ! そんな理由で皆さん、アメリカに行かれていたんですか。
TAKA 「誰かいねえかな?」って考えた時に、「あの人たちが来たら楽しくなるな」っ
て。それだけの理由ですよ(笑)。でも、海援隊として活動したのは半年ぐらいかな?
──フナキさん以外は結局みんな帰って来ちゃいましたもんね。
TAKA あいつだけは残ってますね。元々、自分も含めてフナキ以外は遠征程度の考え
で行っていたんで、ずっといようとは思っていなかったんですよ。1〜2年いて、いい
経験になればいいかなと。でも、フナキは最初から志が違ってたんですよね。「絶対、
俺はここに残って、アメリカに永住する」って。でも、フナキが残っているおかげで、
ニューヨークとのパイプは残っているんで、選手を呼んだりできるんですよ。それは
大きいですね。
──海外に行くきっかけとして、大きな人へのコンプレックスがあったとおっしゃっ
ていましたけど、それは払拭されたんですか?
TAKA そうですね。「小さくても、俺はこれで食っている。ちゃんとした技術を持っ
ていて、お客さんを喜ばせているんだから、俺はもうプロなんだ」っていう結論に達
しましたね。体の大きさは関係ないと。あれだけみんなでかいから、そればっかりは
どうにもならないじゃないですか?
──生まれ持ったものですからね。
TAKA やっぱりプロレスもショービジネスなわけですから、魅せることができなけれ
ば、意味がないですからね。どんなに体がでかくてもしょっぱい奴はしょっぱいし、
体の大きさ関係ねえなって思いましたね。現に今はレイ・ミステリオみたいな小さな
奴がチャンピオンになったり、日本ではジュニアでしか扱えなかったクリス・ベノワ
とかクリス・ジェリコとかがヘビー級のチャンピオンになったわけですからね。で、
日本も今はそうですから。ジュニアがヘビーのチャンピオンになったりしてますよね。
──ノアの丸藤正道選手がいい例ですよね。
TAKA そういう時代が来てるんだなって思いますね。
──なるほど。そのWWFにいた後半の時期に、プロレススクールとして現在
のKAIENTAI-DOJOを開校されましたけど、これを作ろうと思ったきっかけはなんだっ
たんですか?
TAKA 自分が住んでいたのはプエルトリコっていう島なんですけど、ほとんど日本人
がいない環境なんですね。どうせ、こっちにいるなら日本人の環境を作っちまおうか
なって考えていた時に、たまたま見た雑誌で「闘龍門ジャパン凱旋!」ってドーンと
出ていたんですね。
──闘龍門ジャパンの日本での旗揚げ戦が1999年のことですよね。
TAKA ウルティモ・ドラゴンがメキシコで道場を作って、そのレスラーたちを日本に
逆輸入して興行をやって大成功しているっていうのを聞いて、「じゃあ、俺はそれを
プエルトリコでやろうかな」という凄く浅はかな発想で作ったのが、KAIENTAI-DOJO
なんです(笑)。
──モロに影響を受けちゃったと(笑)。
TAKA これは客も入ってるし、儲かりそうだなと(笑)。まあ、一番の目的は日本人の
仲間と練習相手が欲しかったからなんですけどね。で、WWFに出ながら平行してやっ
ていたんですけど、ホントはダメなんですよ、契約上は。
──え! 契約違反なんですか?
TAKA はい(笑)。WWFの契約書ってもの凄く分厚いんですけど、自分は英語が読め
ないんで、1回も読んだことがないんですよ(笑)。だから、契約内容を知らずにそ
ういう学校をやってみたり、日本に勝手に帰って試合したり、日本の取材でWWFの悪
口を言ったりとかやっていたんですよ。
──ガッハハハハ! それはムチャクチャですね(笑)。そういえば、よく日本にも
帰って来て、みちのくとかで試合をしてましたもんね。
TAKA あれも契約違反です。当時、WCWにウルティモ・ドラゴンがいて、会うといっ
つも「TAKAは勝手に日本で試合して大丈夫なの?」って驚かれてましたね(笑)。
「どうなんでしょう? ホントはダメだと思うんですけど」って。
──まるで人ごとみたいですね(笑)。
TAKA 知らないが故に、強かったですね。で、1回それでトラブルを起こして、いろ
んなことがばれたんですよ。それで、ビンス(・マクマホンJr)にも直接「トラブル
メイカー!」って言われましたからね(笑)。
──あのビンスにですか!
TAKA それは武勇伝かなと思ってます(笑)。でも、それでも残れたのは仕事面を多
少評価されたのかなって思うんですよね。今のプロレスのスタイルもそうなんですけ
ど、相手の攻撃を受けて受けて、受けで魅せるタイプなんですよ、自分。
──受けの上手さは定評がありますよね。
TAKA それも向こうで自然に身に付いたものなんですよ。2m級の奴らとやってて、ぶっ
ちゃけ勝てるわけがないんですよ。投げることもできない、倒すこともできない。じゃ
あ、何をしたらいいのかなって思ったら、派手にやられようと。戦後の話じゃないけ
ど、アメリカ人に日本人がやられれば、アメリカ人は喜ぶんじゃないかっていう単純
な発想で、必要以上にオーバーアクションでやられたわけですよ。それが受けたんで
すね。
──なるほど。それでまあ、とりあえず評価されていて、クビは免れていたと。
TAKA 勝つことより、目立つこと、生き残ること。あそこなんて、しょっちゅう選手
が解雇されるし、入れ替わりが激しいんで。
──で、KAIENTAI-DOJOなんですけど、後々は日本に持ってこようという考えだった
んですか?
TAKA それも考えてなかったんですよ。闘龍門を見て、向こうがメキシコでやるんな
ら、こっちはプエルトリコに作っちまおうっていう単純な発想でしたからね。こっち
のほうが環境はいいから生徒も集まるんじゃねえかって。で、生徒も集まった。育っ
てきた。じゃあ地元でデビューさせようっていうことで、プエルトリコの団体に売り
込んで、デビューさせたんですよ。でも、それだけじゃかわいそうだなって思って、
日本で試合をさせようと。で、みちのくプロレスとかに電話して、「新人できたから
使ってよ」って言って、送り込んだんですよ。だから、そういうふうに育ったら日本
に送り込めばいいかなって思っていたんですけどね。
──それがなぜ、逆上陸しようと思ったんですか?
TAKA 選手が予想以上に育っちゃったんですよ。「これはもう、日本でやるしかない
かな?」って時に、ちょうど肩を壊したんですね。それで、「これは辞める時だな」っ
て思って。
──肩を壊したのが日本に引き揚げてくるきっかけになったんですか?
TAKA その頃は結構、楽しくやっていたんで、「もうこのままずっとここにいてもい
いかな」とも思ったんですよ。プエルトリコでKAIENTAI-DOJOやりながら。でも、肩
を脱臼しまして、それが癖になって、トータルで5回ぐらい脱臼していたんですね。
で、手術しないと治らないっていう段階にまでいってしまって。
──結構、大変なケガですね。
TAKA 手術はずっと拒否していたんですけど、怖くて試合ができないところまできちゃ
ったんですよ。で、ちょっとずるい考えが働いて、所属中に手術すればWWFがお金を
出してくれるかなって思って(笑)。
──うまく計算が働いたと(笑)。
TAKA その通りに超一流の先生を紹介してくれてたんで、手術したんですよ。それで、
しばらく長期休養もらっている間に、「日本に帰って会社をやろうかな」とかって思
い始めて、日本に引き揚げてきたんですよ、WWFに何も言わずに(笑)。
──ええ? またも無断でですか?
TAKA で、WWFの日本公演がありましたよね、久々に。
──2002年の3月のことですよね。横浜アリーナでザ・ロックが初来日したという。
TAKA それだ! それに帰ってきて、フナキに呼ばれて会場に行ったんですよ。それ
で、せっかくだからって言うんで、セコンドに付いて暴れたのがWWFの最後の仕事で
すね。その後、キッパリ辞めて、その年の4月に旗揚げして、今に至るような感じで
す。
──またあっさりと辞めましたね。
TAKA でも、トータルで4年半いたんですけど、その海外の4年半は今思えばホントに
良かったなと思いますよ。20歳過ぎの頃に新日本とか経験したのと一緒で、25過ぎで
海外を経験したんで、やっぱり人として大きくなったなっていうのを実感しましたね。
だから、なんの職業でもそうですけど、海外に出て外から見ると日本って凄く小さく
見えるし、物の考えが凄く広がるんですよ。だから、あれは経験すべきだなって思い
ましたね。

★インタビューCに続く!