【『10.7 昭和の新日本が蘇る日』】“過激な仕掛け人”新間寿独占インタビュー![新日本プロレス]

ケンカしてこそ道は開く!

「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」を主宰する“過激な仕掛け人”新間寿独占インタビュー!
幻の「8・26夢のオールスター戦」の上映決定!

(取材・文:安田拡了)




10・7「昭和の新日本プロレスが蘇る日」(後楽園ホール)が間近に迫ってきた。すでに催しの内容が発表されているが、昭和の新日本プロレスをアントニオ猪木とともに作り出してきた新間寿元祖仕掛け人が実行委員長だけに当日はさらに何が飛び出すかわからない。と、思っていたら、今回の取材で早くもビックサプライズが飛び出した! なんと「三団体夢のオールスター戦(1979年8月26日、日本武道館)を上映する!」(新間)というのだ。このオールスター戦の試合映像は当時テレビ局がニュース扱いのみだったためにお蔵入りしており、いまだに試合映像は世に出回っていない。私も死ぬまでに絶対見ておきたかった。そのお宝映像(テレビ局の映像ではない)が見られるのだから、私個人としても10・7「昭和の新日本プロレスが蘇る日」はすごい日となった。イベントの内容は名勝負の上映会、トークバトル、交流イベント、お宝展示などだが、あらためて新間寿実行委員長に昭和の新日本プロレスへの熱い思い、そして今回、上映することになった「8・26夢のオールスター戦」や「アリvs猪木」のシリアスな舞台裏などを語ってもらった。これまで何度もインタビューしてきたが、つくづく思う。いざという時、喧嘩できる人間こそが道を開くことができるし、喧嘩とは情熱と信念を持つ人間力なんだということが、10・7で証明されることだろう。

●アリvs猪木戦のお宝展示品は新間寿の夢のかたまりだ
お宝展示品は興行ポスター、伝説のベルト、トロフィーなどのほか、アリvs猪木戦に関するものが多い。それだけあの「アリvs猪木戦」の新間の思いは誰よりも強いということだ。当時、誰もが実現なんて無理だと思っていたことを、やり遂げたのだのだから。それらの展示品は新間寿の夢のかたまりだ。

「アリvs猪木戦実現に動いた時、私は41歳でしたよ。いま81歳。私の気力を奮い立たせるものは過去にあると思った。奮い立たせるもの。それが不可能と言われ、みんなに馬鹿にされた「アリvs猪木戦の実現」だった。我、いまだに戦場にありという気持ちですよ。そして、ヨーシ、あの凄い時代を過ごした時のことを一緒に楽しんでもらって、元気をもらいにきてくれという気持ちで「昭和の新日本プロレスが蘇る日」をやろうと思ったんだ。
 それにしてもよく喧嘩してきたよ。来日したアリに、日本のボクシング記者たちは騒然とした。なぜならボクシング記者たちは『われわれの世界で崇高なチャンピオンがなぜプロレスのリングに上がるんだ』という気持ちがあったからだよ。ボクシング記者クラブというのがあって、私はそこと対決した。というのは、試合当日の仕切りはどの社がやるんだということになった。私は朝日、読売、毎日がボクシングの幹事社かなんだか知らないけど自分たちに取材席の仕切りを任せててほしい、と言ってきた時に、心の中で『ふざけんじゃない。うちの幹事会社は東京スポーツだ』といって拒否してやったよ。彼らは『ボクシングの世界王者がくるのになんで東京スポーツが仕切るんだ』と抗議してきたけどね。だから『これまでプロレスをバカにしたり、記事も書いてこなかったマスコミに、どうして我々の大会の仕切りをお願いしなきゃいけないんだ』と答えたんだ。
 そのしっぺ返しが試合の翌日の新聞。世紀の凡戦と書かれたんだ。あのルールの中での闘い。言われなき批判だった。
 だから、あの試合が終わった時の無力感ったらなかったね。新聞記事と頭の中はどうやったら借金(残金120万ドル)を返せるんだと途方に暮れたよ。やったんだ、やり遂げたんだという達成感はなかった。今頃になって、あの試合は凄かったなんて言われているけど、ふざけんじゃないよ。どうして、あの時に言ってくれなかったんだと思うよ。すごい試合だったと一言でも言ってくれれば、あの無力感の中でどれだけ救われたか。
 しかしね、その後、私は『当初の約束とは違う』と残金の120万ドルをアリ側に支払わなかった。アリ側には180万ドルを手付金として支払って、あとで120万ドルを支払う予定だった。しかし、アリ側の無法なルールチェンジに頭に来てましたからね。もう腹をくくって『ヨーシ、残りのギャラを払う必要はない。裁判によって決着をつけよう』と決心したんだ。
 もともと「猪木はプロレスのルールにしたがい、アリはボクシングのルールにしたがい、お互いのルールを尊重しあった、総合ルールを作り上げよう」というところからスタートして契約をしたんだ。それで180万ドルの手付金を支払ったわけだからね。
 私は『ルールが無法にも前日に変えられてしまって、ウチとすれば試合をどうしてもやらなきゃならないために、そのルールを飲まざるを得なかった。だから、猪木はああいう闘いしかやりようがなかった。しかるに翌日の新聞は猪木を酷評。おかげで、その後、客の入りも激減し、興行に大きな損失があった』としてウチは東京地裁に2億円の損害賠償の民事訴訟を起こしたんだよ。

 喧嘩? うん、これも喧嘩だよ。というよりも相手の理不尽に体当たりしただけですよ。
 するとアリ側は、すばやく3千万ドルの契約不履行訴訟を起こした。それとテレビ朝日のニューヨーク支局にも差し押さえ要求をしてきた。しかし、1年ほど経つと、どんどんドル安円高になってきた。310円だったのが、200円台になってきた。  しかし、こうなってくると支払うとしてももっと安くなってから払えばいいじゃないかとなってくる。だから『慌てて和解する必要はない』と弁護士に言われてね。
 ちょうど話し合いのいい頃合いになってきた。燃えよ闘魂ですよ。私は通訳のケン田島さん、大杉弁護士とともにアメリカに行ったんだ。そうして、マネージャーのハーバート・モハメッドと会った。
 会談の場所はアリ側の弁護士事務所のある立派なビルのミーティングルームだった。
 お互いに弁護士同士というのは、自分の手の内を見せない。だから、いつまでたっても話し合いは平行線のままだった。そこで私がハーバート・モハメッドに『2人きりで話をしたい』と言った。
 すると弁護士たちが『冗談じゃない』と騒ぎ出した。2人きりで話したんでは弁護士の役目は果たさないし、お金が取れないからね。しかし、ハーバードは弁護士たちに『シャラップ!』と言ってね。みんな席を外してもらった。田島さんだけが通訳として残ってくれた。私は言った。
 『あなたもモスレムの信者であり、派の代表だ。私の父も日本の宗教家であり、私も宗教家の息子として生まれ、私の実家はお寺だ。宗教というのは世の中の人を救うためにあるのではないか。私たちのアントニオ猪木も、モハメッド・アリもリングの中で多くの人に夢を与え続けるために、ファイトをしてきたんじゃないのか。なのに、このように、それぞれのスターを守るために裁判を起こし、お互いに不幸になってしまっている。そこで私はある提案をしたい』と言った。
するとハーバードはうなずきながら『新間、その提案というのは何だ?』と訊いてきた。
『いま円高だ。こちらから言わせれば、このままだと150円なり100円になっていくだろう。うちの弁護士達は、これから円はどんどん強くなっていくから裁判は急ぐことはないと言っている。しかし、私はモハメッド・アリを守るあなた達の気持ちに大変感激した。私は特にハーバード・モハメッドという人に尊敬の念を抱いてきた。猪木もモハメッド・アリを大変、尊敬をしている。ぜひ、今日、私とあなたの間で裁判の決着をつけたいんです』。
 そして要求した。
『新日本プロレスはあの試合によって、大変なダメージを受けている。会社は売上げも減少した。私も専務取締役から一介の社員に降格した。だから、もう一度、正々堂々と闘えるルールで再戦をお願いしたいんです!』
 ハーバートは言った。
『わかった。しかし、アリがOKしてキャンプを張ると言った場合には、そのキャンプ料金を支払えるか』
 私は即決で「もちろんだ」と承諾した。
ハーバードも即決だった。『新間、話は決まった。もう裁判もやめよう。再戦のサインもしてやる。新間、いまここで再戦の文書を書け』。
 そこで通訳のケン田島さんと同行した大杉弁護士にお願いして、すぐにその部屋で簡単な契約書を書いてもらった。それで、私がすぐにアントニオ猪木に委任さている代理としてサインをしてハーバートに渡した。
 こうして新日本はアリ側に対して起こしていた裁判を即座に取り下げ、またアリ側も新日本プロレスとその関連の裁判についてすべて取り下げることになったんだ」
 おそらくこれも喧嘩の精神だと思うよ。喧嘩の精神で体当たりをしていった。だから、道が開けたんだと思うんだ。

●幻の「8・26夢のオールスター戦」が上映!

上映会では猪木をはじめ、坂口征二、藤波辰爾、長州力、タイガーマスクほか昭和史に残る名勝負を一挙に公開するとともに幻の「8・26夢のオールスター戦」も上映される。三団体の選手が一同のもとに会し、さらに猪木・馬場のBI砲タッグ。東京スポーツ新聞社の20周年記念行事でなければ、絶対にできなかったのが「8・26夢のオールスター戦」。それだけでも素晴らしい記念日となりそうである。さて、そのオールスター戦の裏舞台も気になる。それは団体間の競争でもあっからだ。特に新間の交渉力は新日本という“愛国心”から生まれた強いものだった。

「要するに馬場さんが、うんと返事をしなかった。これまで執拗に馬場さんに対して私とアントニオ猪木は「挑戦」してきた。三団体のオールスターをやるんなら、そういう方向性をあらためてくれと。だから私は馬場さんに「不愉快な言動をしたことについては申し訳なかったと思っています。謝罪させていただきます」と馬場さんに頭を下げたんですよ。馬場さんも、そういうことならということで正式に記者会見が行なわれた。これには新日本から立会人として二階堂進コミッショナー、全日本からはPWFのロード・ブレアーズ会長、そして東スポ本山社長が立った。さあ、それからですよ。経費とかキップの販売もありますし、テレビ放送とかね。
 テレ朝の新日本の放送は金曜日。馬場さんのところの日本テレビは土曜日放送。テレビ同士の話し合いがまったくつかない。テレビの問題はテレビ同士で解決してくれということになった。あとは経費とかマッチメークの問題。だから分業にしましたよ。テレビ放送問題はテレビで。マッチメークに関しては馬場、猪木、吉原社長の三者で決める。会場の件に関しては、私と全日本の米沢、国際の鈴木。そして東スポの櫻井さんの4人で決めましょうとなった。で、東スポに行って、その会議を行なうことになった。櫻井さんが会議の前に「新間さん、どういう形を考えている? 橋さん(東スポの橋編集局長)に事前に言っておくから」と聞いてきた。だから私はこう言った。
 『櫻井さん、私は一歩下がって5割欲しい。新日本が5で全日本が3、国際が2だ。いま、一番、団体として勢いがあるのは新日本だから。しかし、今回、馬場さんのオールスター戦に気持ちよく引き受けてくれたことに対して、誠意をみせなきゃいけない。だから、キップの配分は4:4:2という形でどうですか』と言った。それで売り場も新日本、全日本、国際の売り場を決めて分けようということを提案した。そのあとで三者(新間、米沢、鈴木)が集まった。
 でね、私が「キップの配分を4:4:2だと言ったら、国際の鈴木が立ち上がって猛反対。『冗談じゃない。オールスターというからには3団体が出るんだから平等にやってほしい』と。
 しかし、私は新日本の代表として言いましたよ。『じゃあ、公平、公正というところから、いまの新日本、全日本に太刀打ちできるんですか。観客動員や雑誌や新聞の紙面の取り扱いからしても国際は少ないじゃないかと。どういうふうにみても4:4:2の割合でしかないじゃないですか。私からすれば国際の割合は1でもいいが吉原社長に敬意を表して2と言っているんですよ』と話した。結果的に私が仕切る形で4:4:2の割合となったんです」。あらためて思うけど、私の喧嘩というのは私利私欲じゃない。すべてアントニオ猪木と新日本のための喧嘩だった。だから意見が通ったんだと思うんだよ。

●新間寿のある計略

同大会ではBI砲が結成されたが、その中で新間は馬場よりも猪木の人気があるようにするために作戦を考えた。

「入場はアントニオ猪木が先。馬場さんがあとということで新日本は承知した。ヨーシ、それなら声援だけは馬場さんに勝ってやろうと思ったんだよ。それでうちの息子を呼んで応援のアルバイトを集めてこいと。40人くらいアルバイトが集まった。入場の時はそれほど猪木コールはなかったけど、ブッチャーとやり始めたら『イノキ、イノキ』の大コールですよ。馬場さんの時は静かなもんですよ(笑)。しかし、あとで息子がバイトにお金を払っているのを見つかってね。馬場さんが東スポに『新間はアルバイトにお金渡して声援させていた』と文句を言った。しかし、東スポの高橋編集局長は『そんだけ新間は猪木と新日本のことを思っているんだ。一枚上手だったな』ということで終わったんだ」

●映像をバックに当時を語ろう

トークバトルは試合映像をバックに語り合うが、全体の司会進行はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」のアナウンサーで昭和の新日本プロレスの語り部舟橋慶一氏。そして坂口、藤波、タイガー、小林邦、北沢など各氏が登場。

「6m40pのリングの中には語りつくせないくらいの夢があり、嫉妬もあり、怒りも、悲しみも、喜びも数知れずあった。それが昭和の新日本プロレスだった。映像をバックに選手たちと当時の心境や裏話を聞こうじゃないか。
 それと言っておきたいことがあるんだ。最近、よく猪木イズムという。違うよ。私たちの時代は猪木イズムなんて言わなかった。燃えよ闘魂だったんだ。そして新日本は燃える闘魂だった。その闘魂というのは喧嘩という挑戦する心だったと思う。
 アリ戦が終わった時の私の家族は恐々と遠くから私を見ているような気がしたんだ。私は燃えてボロボロになっていたからね。しかし、絶対に燃え尽きなかった。また蘇ってきた。燃えよ闘魂とは燃え続ける闘魂のことなんだ。
 いまになって、過去を振り返ることができたけれども、これまで家族を巻き込んできたけど、わが妻はこうして81歳になった私がいまも「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」を開催して青春時代を蘇らせて、元気な姿を見ているのが楽しみのはずですよ。
 10月7日は金曜日。昭和のワールドプロレスリングは金曜夜八時からでした。
 さらに1957年(昭和32年)10月7日は後楽園球場でアントニオ猪木の師匠である力道山とルー・テーズの世界選手権があった記念すべき日。この記念すべき日にみなさんも私と一緒に元気いっぱい昭和の新日本プロレスを分かち合い、楽しんでください!」



■タイトル:『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』
■開催日時:10月7日(金)開場/17時30分 開始/18時30分
■会場:後楽園ホール (東京都)
※【本イベントご来場者様のみ豪華特典】特別プレセント:来場者全員に「昭和の新日本プロレスが蘇る日」記念特製メダル(限定品)を贈呈

2016-10-04 12:12 この記事だけ表示