【「8.26夢のオールスター戦」(1979年8月26日日本武道館)の映像をサプライズ上映が決定!】[新日本プロレス]

10月7日(金)、午後6時30分より東京・後楽園ホールにて開催される「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」についての記者会見が9月30日(木)午後2時より、東京・帝国ホテルにて行われ、大会の概要が発表された。

(取材・文:新井宏)




会見には新間寿実行委員長、藤波辰爾、初代タイガーマスク、舟橋慶一実行委員(元テレビ朝日アナウンサー/プロレス実況担当)、榛葉賀津也名誉実行委員(リアルジャパンコミッショナー)平井丈雅実行委員(リアルジャパン代表)が出席。

新間寿実行委員長「私が経験した新日本プロレスというのは、いま81歳になっても、いまだにまだ沸々と燃える闘魂が心の中から弾き出るような、そういう日常でございます。アントニオ猪木がいて、坂口征二がいて、ドラゴン藤波(辰巳=当時)がいて、タイガーマスクがいて、長州力がいて、どれ一人をとってもみんな凄い選手。私は現在81歳になりました。昭和の新日本プロレスを思い続け、過去を大事にすることというのは、自分の未来、あと2年か3年かわかりませんが、大事に生きようという気力を蘇らせてくれております。現在もローラーをヒザを着いて30回、10セット。腹筋台のワンダーコアというやつはパンツが擦り切れるほど7セットから10セットくらいやっております。そういう気力を呼び起こし、そしてやる気を持たしてくれたのが昭和の新日本プロレスでございました。今日は10月7日について新しい発表を榛葉賀津也先生のほうから発表させていただきたいと思いますけども、10月7日は本当に凄いプロレスをお見せできる、こういうものがあったんだということを今一度皆様にお伝えしたいというのが、今回10月7日、ビデオによる放映とトークショーを企画したしだいでございます。今日は本当にありがとうございます」

榛葉賀津也 「このたび名誉ある大会の名誉実行委員ということで承りました参議院議員の榛葉賀津也でございます。昭和といえばプロレス、プロレスといえば昭和、我々子どもの時代のアントニオ猪木、藤波辰巳(当時)、そしてタイガーマスクとまさに黄金時代を創ったその昭和が10月7日、蘇ってくる。プロレスファンにとってはたまらない日になると思います。国会議員をやってますが、その道を志したのも、新日本プロレスの当時のコミッショナー、二階堂進先生に憧れて、私は政治の道を志しました。国会議員になればプロレスラーに近づけるとの思いが子ども心にありました。いまこうして仕掛け人の私のプロレスの師であります新間寿会長、そして藤波先生、佐山(初代タイガーマスク)先生と一緒に時間を過ごせるというのが、いまの女子高生にとっての、マツジュンとキムタクと一緒にいるよりも信じられない瞬間でございます。このたび、昭和54年8月26日、東京スポーツ新聞社さんの主催で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス、この3団体がなんと「夢のオールスター戦」を実行した。そのときの秘蔵映像が新間会長のお手元にあることが分かりました。今回10月7日、秘蔵映像初お披露目ということになりました。見たことがないので、今からワクワクドキドキなんですが、話に聞きますと、ファイナル(メイン)は(アントニオ)猪木と(ジャイアント)馬場がタッグを組んで、(タイガー・ジェット・)シン、(アブドーラ・ザ・)ブッチャーと闘った試合とのことです。是非、この10月7日、「10・7昭和の新日本プロレスが蘇る日」イベントでは、「夢のオールスター戦」の秘蔵映像もぜひお楽しみにしていただきたいと思います」

藤波辰爾 「10月7日、久々に、自分自身が言うのもおかしいですが、昭和のプロレスを再び見れる。実際自分は、今62歳でいまだにリングが恋しくてリングに上がっていますけども、そういう中でリングに立てるという熱き思いをぶり返していただけると、自分自身が協力をしているイベントです。どうぞよろしくお願いします」

初代タイガーマスク 「昭和のプロレス、いまのプロレス、時代が流れてスタイルが違うという方もいらっしゃいますが、スタイルが変わるわけがありません。古代パンクラチオンからいまの格闘技までスタイルは変わらない、プロレスも変わらないものがあって、それがひとつの流派である。その流派のひとつである新日本プロレスというものがどういう時代だったのか、どういう人たちがどういうプロレスをして、どういう裏方の方々がいてああいう時代を築けたのか、その内容がすべてわかると思います。なにが違うのか、確認に来てもらいたいと思います。私自身もあの時代を思い出すと心がウキウキして、今日から3日間、集中トレーニングを始めます。この気力、充実ともすべて当時の新日本プロレスが培ってきたものがいまだに流れているということ、いったいこのエネルギーはなんなのかということを10月7日に自分自身も見極めたいと思います。よろしくお願いします」

舟橋慶一 「昭和のプロレスを振り返るというこんな素晴らしい企画は、夢のようでございます。日本プロレスの後半から新日本プロレスの黄金時代、アントニオ猪木さんを中心として、猪木さんとともに私の実況があったような、そういう時代を送れたことは本当に人生に代えがたい思いであります。とくに宇都宮で新日本プロレスの放送が再開されたとき(1973年4月6日)の喜びはいまでも脳裏にしっかり刻まれております。やっぱりすべての人生そのものといいますか、プロレスというのは人生そのものという気がします。すべての鍛えた技、肉体をぶつけあって、その阿吽の呼吸の中で一つのドラマを作り上げていく。これはどんな舞台俳優でも台本があって、セリフがあります。しかしプロレスラーは鍛えた身体、そして相手の選手との阿吽の呼吸の中で技を出し合って一つの自分を表現していく。ですからそこに筋肉の躍動とか精神の高揚、それを身体が表現するという、こんな素晴らしいスポーツはないと思って実況してまいりました。私の実況はどちらかというと、ストロングスタイル的な実況といいますか、スポーツの原点としての、いま佐山さんがおっしゃったように古代パンクラチオンの時代から変わることがないわけですね。この肉体の表現をいかに表現、実況で表現するかということに自分の実況のすべてをぶつけてきました。それがやっぱり、本当に新日本プロレスとの出会いは幸せだったと、それを10月7日に振り返ることができる。こんな素晴らしいことはないと思っています。よろしくお願いします」

新間 「10月7日はぜひご期待ください。そして榛葉先生がおっしゃっていたように、(1979年)8・26東京スポーツ主催の3団体の「夢のオールスター戦」、私が秘蔵しておりました全試合のビデオが引っ越しのときに、今年の3月に見つかりまして、それを今日はDVDにしていますので、全9試合、第1試合からメインイベントまでの試合があります。
それを10月7日はメインイベントのジャイアント馬場&アントニオ猪木組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組の闘いは約5分間くらいニュース枠として日本テレビとテレビ朝日が、それぞれ放映したんですけども、藤波さんとジャンボ鶴田さんとミル・マスカラスと組んだ6人タッグがあったり、坂口さんと全日本の(ロッキー・羽田)選手がシングルで闘ったり、ドン荒川選手とスネーク奄美と闘ったり、バトルロイヤルで山本小鉄が優勝したりと、非常に私が見ても、もう一度見直しても、音だけ入っていて解説は入っていないんですけども、これから編集してどの試合を何分くらい10・7でお見せすることができるか、このイベントが終わった後、東スポさんにゆっくり今後のことを相談しに行きたいと思っておりますが、10月7日、8・26の試合映像は最低でも30分くらいは放映できるような枠を取りたいと思っております。ご期待ください」

ここから、“8・26夢のオールスター戦”における馬場&猪木組vsブッチャー&シン組、鶴田&マスカラス&藤波組vsマサ斎藤&タイガー戸口&高千穂明久組の映像をダイジェストで披露。

新間 「10月7日には舟橋慶一さんにちょっと解説を入れてもらいながら、これを会場の大スクリーンで見たいと思います。ぜひご期待くださいますように、よろしくお願いします」

――(藤波に)これを見て、当時を思い出しますか。
藤波 「見ているうちに試合の流れまで頭に浮かんできます。衝撃がね。よくぞこの大会が実現したと。何年ぶりですか、あの時以来ですからね。試合やってたからほとんど見られるわけではないので。」

――38年ぶり。
新間 「東スポさんと話をしないといけない。東スポと話をして、私はこのビデオを持ってるわけだから。主催は東京スポーツ、全日、新日、国際3団体。よく実現できたと思ってね。6メート40の(リングの)中には舟橋さんが言うように、自分たちが尊敬する選手たちが命を懸けてやってるんだという、それを見る喜びでした。そのような凄い試合を闘い抜いてきた人たちの映像がこれだけ鮮明に残っているという。皆が(映像を)いま初めて見たと。だからいま見て、やっぱり新日本プロレスだなと思ってると思う。馬場さんの動きがいいので(佐山は)ビックリしてるもん」
佐山 「ビックリしますよ」

新間 「馬場さんも元気だったもんねえ。(榛葉)先生、何歳だった?」

榛葉 「小学校5年生ですね、11歳。見てないです」

新間 「(放送について)東京スポーツが中に入って話をつけたんです。また、(スタッフが)徹夜でやっててね、うちは女房におにぎり作らせたり、サンドイッチ買ったりコーヒーもって差し入れに行ったもん、徹夜組に。本当に凄かった」
藤波 「うちの家内はチケット買えなかったんですよ」

新間 「でもあそこに佐山聡、タイガーマスクがいたらもっと面白い流れになってたと思うけど、あれはあれなりに、9試合全部残っているというのは奇跡に近かったね。引っ越しするときに何が出てきたんだろうと。“力道山空手チョップ世界に行く”とかそういうビデオが出てきて、それと一緒に出てきたんだよね。これは平井(リアルジャパン)に相談しないとと、まず思ったね。これを東スポさんと相談しながら、よく話をして、ちゃんとするようにしますよ。カンペオン(藤波)もいるし」

――8・26以外で、そのほかの上映試合は?

新間 「アントニオ猪木vsストロング小林(1974年3月19日)。私が一番好きだった藤波辰巳さんのWWFのニューヨークのマジソンスクエアガーデンでやった(カルロス・ホセ・)エストラーダとのタイトルマッチ(1978年1月23日=現地時間)。そしてタイガーマスクvsダイナマイト・キッド。3つの試合を上げろとなれば、猪木vs小林、藤波vsエストラーダ、そしてタイガーマスクvsキッド。そういえば、タイガーマスクのデビュー戦(1981.4.23.蔵前国技館)の時は、自分でも手を握りしめながら、梶原(一騎)先生の顔とリングを交互に見ながら。コーナーポストに上がって(タイガーが)パッと手を上げたときに梶原先生がニコッと笑った。先生、OKだなと。その後、(タイガーが)ニューヨークMSGに行ったときに、一番最初は観客がざわついて野次を飛ばした。変なもの被ってなんだと嘲りの言葉が出たり。私はマクマホンと一緒のプロモーターたちがいる一角にいたんだけれども、カンペオン(藤波)さんのときはリングサイドで見たんだけど、タイガーのときはビンス(・マクマホン)の奥さんらと。1分経たないうちにビックリするからと。ビンスの奥さんはニコニコしながらタイガーの試合を見てた。そのうち野次が飛んだ。それから始まったら、“オー、オー!オー!!”となった。観客が絶賛の声援に変わった!(佐山に)どうだったと聞いたら“自分でも反応がわかった”と。カンペオン(藤波はMSGの)リングに上がったときは“本当に震えてきた”と。あそこの会場の雰囲気は選手はそうだけれども、見に行った人間たちにとってもすごい雰囲気というか、その一員になれたというだけで幸せになれた。舟橋さん、あそこ行ったよね。すごい雰囲気だったもんね」

舟橋 「そうですね。ガードマンや警備員や売り子がみんな試合に見入って、ガードマンが絶叫しているんですよね」

新間 「MSGの地下に映画館みたいに2,500人から3,000人くらい収容する場所があって、そこの大スクリーンでクローズドサーキットをやった。タイガーマスクとか藤波とか猪木が出ると、タイトルマッチの時はそこを開放してね、客を入れるから、そこにプラスアルファの(観衆が入る)。超満員でビンスが本当に喜んでくれる。タイガーマスクをよこせ、藤波をよこせと言われてね、断るのに苦労して、海外に出すのも考えものだなと思ったこともありました。でも凄く嬉しかったですよ。そしてここ(記者会見)にカンペオン(藤波)が来てくれて。藤波さんと呼んだことはない、カンペオン(と呼ぶ)。メキシコのスペイン語での習慣での呼び方ですけども。タイガーは昔から佐山ちゃんと呼んでたので。この2人とやれる喜び。それと坂口さんが、“新間さん、必ず行くよ”と。グラン浜田とか小林邦明、北沢幹之(らも来場)。私自身も楽しみにしておりますので、どうぞご期待ください」



■タイトル:『10.7 昭和の新日本プロレスが蘇る日』
■開催日時:10月7日(金)開場/17時30分 開始/18時30分
■会場:後楽園ホール (東京都)
※【本イベントご来場者様のみ豪華特典】特別プレセント:来場者全員に「昭和の新日本プロレスが蘇る日」記念特製メダル(限定品)を贈呈

2016-10-03 14:10 この記事だけ表示