『LUCHA FIESTA 2012〜デビュー25周年記念大会〜』直前! ウルティモ・ドラゴンが語る「波瀾万丈の25年間」と「ルチャ・リブレの魅力」 [プロレス]
ウルティモ・ドラゴン校長の25周年記念大会が、遂に明後日と迫りました!そして本日、校長の大会直前インタビューをお届けいたします。いかにして、ウルティモ・ドラゴンが誕生し、世界のスーパースターに上り詰めたのか!その一端を感じることが出来ると思います。IWGPジュニアヘビー級のタイトルを獲った時(92年11月22日、両国国技館)に、リング上で「諦めなければ、絶対夢は叶います」と言った姿。頂点からドン底を見た男。手術ミスにより、再起不能と宣言されながらも、4年もの歳月を経て、プロレス復帰!「諦めた瞬間から人間は歳を取っていくと思うんです。僕は常に諦めないんですよ!」現在、歩みの途中で悩む方々がいらっしゃるとすれば、彼のインタビュー、そして闘う姿をご覧になることで、見つかるものが何か、あるのではないかと思っております。思いを遂げた、夢をかなえた男の半生を感じていただければと思います。そして、このインタビューをお読みになった方々、当日会場でお待ちしております。ウルティモ・ドラゴンの25周年記念を共に祝福しようではありませんか!

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『LUCHA FIESTA 2012〜デビュー25周年記念大会〜』直前!
ウルティモ・ドラゴンが語る「波瀾万丈の25年間」と「ルチャ・リブレの魅力」

LUCHA FIESTA 2012〜ウルティモ・ドラゴン デビュー25周年記念大会〜
■日時:2012年11月07日(水)開場/17時30分 試合開始/18時30分 
■会場:後楽園ホール
■主催・制作:TORYUMON S.A. de C.V./『LUCHA FIESTA2012』実行委員会
■後援:在日メキシコ大使館 ■特別協力:e+ イープラス
■大会詳細とチケット申込はこちら!

“究極龍”ウルティモ・ドラゴンにとってデビュー25周年の記念興行となる『LUCHA FIESTA 2012』が11月7日(水)に後楽園ホールで開催される。日本のみならず、メキシコやアメリカなど世界各国で活躍してきたウルティモは、四半世紀にわたって無数の栄光と挫折を経験してきた。メキシコでのデビュー戦、UWA世界王座奪取、日本への凱旋、アメリカでの活躍、闘龍門の設立、そして左肘の怪我…。節目の大会を前に、波瀾万丈の25年間を振り返ってもらった。

■「デビューした時、体が震えたんです」

――25周年ともなれば、簡単には言葉で言い表せない思いがあるのではないかと思います。
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ウルティモ そうですね。長かったと言えば長かったし、あっと言う間と言えばあっと言う間でした。でも、4分の1世紀ですから、やっぱり長かったんでしょうね。

――ご自分としては満足している25周年ですか?

ウルティモ 後悔はないですね。もちろんその瞬間は「しまった」とか、「やっちゃったな」と思うこともあったんですけど、後になってから考えてもしょうがないじゃないですか(笑)。

――過去は引きずらないと?

ウルティモ 今現在はいつも毎日楽しくやっているんです。その時は失敗したとしても、今の自分になるための失敗だったわけじゃないですか。今が悪かったら全てのプロセスがダメになるけど、今が良いなら必然的に起こっただけのことで。だから、引きずったりしないですね。

――確かにウルティモ選手が思い悩んでいるイメージはないですからね。

ウルティモ 悩んでも、途中で「面倒臭いから、もう別にいいや」となるんで(笑)。やっぱり自分が20歳の時にメキシコに行ったでしょ。日本にいたら大学に行ってる年齢で、ようやくこれから大人になって、社会に出て、人間を形成する大切な時期じゃないですか。その時にメキシコにいたんで、基本的にたぶん……たぶんですよ。頭の中がメキシコ人みたいになっているんじゃないかなという。

――もう考え方がラテンのノリになっていると。

ウルティモ 日本で他人の行動を見て、「なんでそんなことをしているのかな?」と思って、口に出しちゃう時があるんですけど、その人に「エッ!?」と驚かれることが結構あるんです。それで、「ああ、そう言えばここは日本だったな」と思い出して。日本とメキシコを行ったり来たりする生活をしていると、そんな風に頭が切り替わらない時があるんですよね。反対に日本にしばらく居てからメキシコに帰ると、「メキシコ人はなにをやってんだよ」と思うんです。で、今度はまた徐々にメキシコ人化していって、日本に来るとまた同じことが起きるんですよ(笑)。

――出国・帰国会見を取材するたびに、「メキシコに帰る感覚」のか「日本に帰る感覚」なのかどちらなんだろうとずっと気になってました。

ウルティモ 両方ですね。メキシコにも「帰る」し、日本にも「帰る」し。でも、メキシコに「行く」というのはないです。自分の中で“帰るべき自宅”はメキシコにあるマンションだと思っているので。そこで「ようやく家に帰ってきたな」と感じますね。

――この25周年に何かしらの形容詞を付けるなら、どんな言葉になりますか?

ウルティモ “素晴らしい”25周年じゃないですか。周りの関係者やレスラーの仲間たち、全てに感謝です。日本やアメリカをはじめ、世界各国に僕が戦ったレスラーやお世話になった関係者はたくさんいますけど、僕の中で大きいのはやっぱりメキシコなんですね。

――1987年にプロレスデビューを果たした場所ですからね。

ウルティモ デビューしてから最初の3年間はずっとメキシコにいたんですけど、その頃に向こうの選手との戦いを通じて、いろんなことを勉強したんですよね。それが今の僕の財産かなと思います。今でも目をつぶれば、あの頃の風景が浮かんできますね。脳裏に焼き付いて頭から離れないですよ。

――当時、25年間も現役を続けることは想像してました?

ウルティモ そういうことは考えてなかったですよ。レスラーになりたい一心でしたから。だから、本当にレスラーになった時は物凄く感動しました。デビュー戦では体が震えたんです。普通の人はたぶん経験したことがないと感覚だと思うんですけど。

――よく言葉としては使いますけど、実際に震えるような経験なんて想像もできませんよ。

ウルティモ よくお風呂に入ると、体がジーンとするでしょ。ああいう感じで体が震えてきて。小学2〜3年生の時からずっとレスラーになるのを夢見てて、それが現実になったわけですから。大人になってからの10年より、子供の頃の10年の方が凄く長いでしょ。だから余計にね。リングに上がるまでは本当に怖くて、緊張してたんですよ。でも、いざ先輩たちのいるリングに入った瞬間に感動してね。

――そこまでの感動した試合は他にありますか?

ウルティモ 僕のプロレス人生ではいろんなことがあったじゃないですか。どれも自分にとっては凄く大切な瞬間なんですけど、自分の体がビリビリと震えたのは、デビュー戦の時とメキシコで初めて世界チャンピオンのベルトを獲った時だけですね。なんて言うのかな、感動という言葉だけでは言い表せないぐらいの気持ちになって。ワーワーと泣いたわけじゃないんだけど、脳天から電気がバーッと体を駆けめぐって、痺れましたよね。「本当に俺はやっちゃったんだ」って。

――88年7月にUWA世界ウェルター級王座を獲った時のことですね。東洋人として初めて同王座のベルトを巻きました。
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ウルティモ とても名誉なことですよ。今でこそ世界王座っていろんなところにありますけど、あの頃のメキシコの世界王座はランキングもちゃんとあったし、物凄く価値があったんです。たぶん技術的にはたいしたことやってないと思うんですけど、お客さんも沸いたし、自分の中で印象に残っている試合ですね。

■「“プロレスって何ですか?”と聞かれたら“俺の人生”と言うしかない」

――ウルティモ選手のようにたくさんのタイトルマッチを経験してきても、ちゃんと記憶に残っているものなんですか?

ウルティモ でも反対に、アメリカのWCWでディーン・マレンコと8冠とクルーザー級のタイトルを懸けて戦った時(96年12月29日)のことはまったく憶えてなくて。この間、映像を見直して、「ああ、こういう技で勝ったんだ」と思い出したぐらいなんです(苦笑)。ステーィブン・リーガルから世界TV王座を獲った試合(97年5月18日)はよく憶えているんだけど。

――WCWではクルーザー級としてだけではなくて、ヘビー級も相手にしていたんですよね。

ウルティモ TV王座はレックス・ルガーやグレート・ムタが巻いていたベルトですから、物凄く印象に残ってます。「とうとうアメリカでもここまで来たか」と思いましたよ。でも、やっぱり本来の自分が持っている力以上のポジションにいたと思うんです。だから、たぶん神様が「コイツは懲らしめた方がいいよな」ということで、手を怪我したんじゃないかと思ってて。今から考えればね。

――98年に左肘を負傷し、しかも手術を失敗したことで4年近くの欠場を強いられ、今でも握力は低下したままだそうですが、先ほどのお話の通り、それを引きずってはいないと?

ウルティモ 絶対にレスラーってどこかで落ちていくじゃないですか。怪我したのはマイナスだと思っている人もいるでしょうけど、あのままやっていたら、絶対に行き詰まっていたと思うんです。怪我をして試合ができない。でも、闘龍門を同時に創った。選手のプロデュースがうまくいって、自分が育てた選手が日本のプロレス界で活躍している。もう自分がレスラーとして上がっていくことはなくても、プロレスを楽しめている。今は凄く居心地が良くて、なんでこんな順調なんだろうと思うんですよ。あの時の自分があるから、今の自分があるのかなって凄く思います。それに、自分の生徒たちに落ちていく姿を見せられないじゃないですか。いい時にパッとできなくなったでしょ。あれも良かったんじゃないのかなと。

――大きな負傷を経験しながらも、25年間プロレスを続けてこられたのはなぜでしょう?

ウルティモ しつこいからじゃないかな(笑)。諦めないんですよ。昔、エル・サムライ選手に勝ってIWGPジュニアヘビー級のタイトルを獲った時(92年11月22日、両国国技館)に、リング上で「諦めなければ、絶対夢は叶います」と言ったら、現場監督をしていた長州さんに「リングでそんなことを言うな」と怒られたんですよ。長州さんと僕のプロレス観は違うからなんでしょうけど、自分は今でもそう思っていて。諦めなかったから、僕は今、プロレスラーでいるわけじゃないですか。できないこともありますけど、いつまでもそういう気持ちでいたいなって。例えば、50歳になっても、「俺はレスラーになりたい」と自分で勝手に思っているのはいいことじゃないですか。他人がどう思おうと、自分で「俺はレスラーになる」と思っていれば。諦めた瞬間から人間は歳を取っていくと思うんです。僕は常に諦めないんですよ。しつこいんです。近くにいる人間は迷惑するんだろうけど(苦笑)。そういう気持ちは大切じゃないかな。

――諦めの悪さが肝心と(笑)。25年間続けてこられたのは、それだけプロレスに魅力があったからだと思うんですが、その魅力はどこにあるんでしょうか?

ウルティモ プロレスの面白さは一言で説明できないかな。子供の頃からプロレスを見ていて、変な話、プロレス自体が自分の人生そのものじゃないですか。だから、「プロレスって何ですか?」と聞かれたら、「俺の人生です」と言うしかないですよ。プロレスって答えが出ないじゃないですか。こういう試合をすれば100点ということもないし。じゃあ、トップロープから3回転するような技を100回やればいいのかと言ったら、そういう問題じゃないでしょ。プロレスって答えが出ないから面白いんです。答えがあるものって面白くないですから。

■「日本のお客さんは本場のルチャ・リブレが見たいはずなんですよ」

 メキシコが第二の故郷だというウルティモは、今回の興行にあえて現地そのままのルールを採用した試合を組んだ。
メインイベントのウルティモ・ドラゴン&ラヨ・デ・ハリスコJr.&ザ・グレート・サスケvsウルティモ・ゲレーロ&ブラック・タイガー&大原はじめ戦は、60分3本勝負、オーストラリア式タッグマッチ(キャプテン、または残り2人が敗北すると1本となる変則的な形式)のルールで、セミファイナルのNOSAWA論外&MAZADAvsブラソ・デ・プラタ&ブラソ・デ・ボノ戦も45分3本勝負のメキシコルールで行われる。
 また、マリアッチの生演奏を導入したり、在日メキシコ人を招待したりと、「メキシコを直輸入すること」を徹底した興行が計画されている。なぜそこまで“現地仕様”にこだわっているのか? 後半は今大会に向けての思いを語ってもらった。

――今大会の注目は本場さながらのルールだと思うんですが、なぜそういう試合形式にしたんですか?

ウルティモ よく「メキシコのルールはどんな感じなんですか?」と聞かれるんですけど、実は僕もよくわからないんですよ(笑)。でも、とにかく「本場のルチャ・リブレを見せたい」という部分があって。何が大切かと言ったら、メキシコのレスラーにもっと自然体でやらせたいんですよ。ちゃんとタッチをしなくても、タッチロープを掴まなくてもいいと。もう日本のルールは気にしないで、好きにやってくれって。僕も基本的にメキシコでやっているようなリアクションをします。今回は賛否両論あると思いますよ。正直言って、お客さんがどう思うかもわからない。でも、「これがメキシコのルチャ・リブレですよ」というのを見せたいんですよね。

――以前から「日本に来るルチャ・ドールは現地と違う動きをしている」と言われてますよね。

ウルティモ 例えば日本でトペを何発もやって、それがマスコミにも大きく取り上げられたりしますけど、メキシコでそんなことはやらないです。彼らもやっぱり日本で成功したいという思いがあるんですよ。とにかく飛べば沸くじゃないですか。その辺はみんな凄く単純に考えているんです。僕はいつも思うんだけど、日本のお客さんが何を見たいかと言ったら、本場のルチャが見たいはずなんですよ。日本流のファイトは見たくないでしょ。本場のルチャを直輸入すると言いながら、1本勝負の試合をやって、タッチもちゃんとさせていたら、それは違うんじゃないかなって。選手もみんな戸惑うでしょうし、それだったら普段通りにやればいいじゃないかと。

――どうしても日本ではルチャ=空中戦というイメージがあります。

ウルティモ ちょっと違いますよね。確かにスピードと空中戦がルチャの魅力だけど、それだけじゃないんですよ。メキシコでの修業時代に僕はマスカラ・コントラ・マスカラ(マスクを懸けた試合形式)やカベジェラ・コントラ・カベジュラ(髪の毛を懸けた試合形式)で物凄い試合をたくさん見たんですよ。それでルチャの魅力を知ったんですけど、特に印象に残っているのは、ビジャノ3号で。

――日本では初代タイガーマスクと戦って、いいところが無く終わった印象が強いですが、メキシコでは人気選手なんですよね。

ウルティモ 彼は空中殺法なんてほとんどしないんですけど、とにかく人気があったんです。なんでこんなに人気があるのかと不思議に思ったんだけど、試合を見ているうちにその理由がわかってきて。

――他の選手とは何が違ったんですか?

ウルティモ 彼はリングの上で“戦っている”んですよ。空中戦をする選手もいましたけど、彼らはリングで飛んでいるけど、“戦っていない”んです。その時に、「これもルチャ・リブレなんだな」と思って。だから、彼はメインイベンターなんですよ。全盛期のビシャノ3号は本当に凄かったです。僕が見た中では1番のルチャ・ドールですね。今、日本のプロレスにはいろんな大技があるじゃないですか。大技をやること自体は凄いことですし、それに受け身を取っているのも凄いと思うんですけど、「だからなに?」という気持ちもあって。僕がプロになってから一番凄いなと思った試合は、ビジャノ3号vsランボーのマスカラ・コントラ・マスカラ(87年10月25日)なんです。あんなスリリングな試合はないですよ。思わずファンに戻って見てましたから。あの試合は、何にも飛んでないですよ。

――今回の試みの裏側にはそういう思いがあったとは知りませんでした。

ウルティモ ただ、やっぱり客席にメキシコの人が何人かいないと、ルチャ・リブレを作り上げられないんですよ。お客さんも一緒になって作るから。その辺が非常に難しいというか。

――それが在日メキシコ人の方を招待することに繋がるんですね。

ウルティモ 感想は「面白かった」でいいんです。「あの技が凄かった」とか、そういうのは嫌なんですよ。「今日は面白かったね。音楽も良かった」とか、「ウルティモ・ドラゴンはマスクをビリビリに破られて、大丈夫かな?」とか、そういう風に思ってもらいたくて。日本のファンには「あの技を効いてたのかな?」なんて話をしている人が多いでしょ。そんなことはどうでもいいじゃないかって。メキシコの場合、プロレスはストレスを発散しに行くところなのに、日本の場合、中には逆にストレスを溜めて帰る人がいると思うんです。それはおかしいなと。

――ルチャの面白さとは何だと思いますか?

ウルティモ メキシコの歴史だとか、メキシコ人の生活だとか、そういうのが全部背景にあるんですよ。例えば、日本には吉本新喜劇があるじゃないですか。あの劇の内容自体は、どうでもいい話ですよね。食堂でうどんを食べたとか(笑)。それって普通にある日常ですけど、逆に普通にありそうだから面白いわけじゃないですか。まったくの空想で、起こりそうもないことだったら、「理解できないよ」という話になるでしょ。テレビドラマだって、世間からかけ離れた内容じゃなく、ありそうな話じゃないですか。ルチャ・リブレも、タッグチームが急に仲が悪くなったとか、いきなり悪い人間になったとか、そういう人間ドラマがサイドストーリーとしてあるんです。日本のプロレスはちょっとありえないことが起こるじゃないですか。そういうのがないんで、逆に面白いのかなって。

■「僕をこの世に出してくれたメキシコの魅力を知ってほしいんです」

――次の区切りは30周年となります。そこに向けて意気込みを聞かせてください。
ウルティモ 5年後ですから、そんな先の話じゃないですよね。たぶんまだプロレスはやっているんじゃないかな。5年経っても元気だと思いますよ。

――やはり目標としては、今と同様に「日本とメキシコの架け橋になる」というのが基本になるんでしょうか?

ウルティモ 今やっていることを継続していきたいですね。たぶん1年に1回か2回ぐらいこういう大会をやると思うんですけど、「試合を見に行ったら、メキシコに凄く興味を持った。行ってみたい」とか、そういう人が1人でも2人でも増えてくれたらなって。まあ、親善大使じゃないけど、そういう役割を自分が務められたらいいかなと。逆に言うと、個人の夢はないんですよ。ベルトが欲しいとか、誰と戦いたいとか、どこどこで試合がしたいとか、そういうのは全部やってきましたから。

――ここまでお話を聞いてきて、「メキシコが好きだ」という思いがヒシヒシと伝わってきました。

ウルティモ もし嫌々メキシコにいたら成功してないですよ。自分が今、この世の中に存在しているのも、すべてメキシコという国があっての話なんで。もちろん自分の力というのもあったんだろうけれど、そこにはメキシコがあり、ルチャ・リブレがあり、選手もいて、お客さんもいて、俺のことを応援してくれるファンもいて。全てをひっくるめてメキシコなんですよ。簡単な言葉では表現できないですよね。この恩は自分が一生をかけても返せないですよ。それぐらいのものはもらっているんじゃないかなと思います。

――実は今回の興行もメキシコからの後押しがあったから実現したそうですね。
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ウルティモ 最初は25周年の興行もメキシコだけでしようと思ってたんですよ。それで、今年の5月にアレナ・メヒコで開催したんですけど、メキシコの人たちが「なんでお前は日本でやらないんだ。お前は日本人だから、日本でやるべきだ」と言ってきて。メキシコ人が背中を押してくれたんですよ。最近、メキシコの方で「25周年興行を見に日本に行く夢を見た」と言ってくれた人がいて。日本に来たこともない人がそう言ってくれたら、嬉しいじゃないですか。

――日本とメキシコ、両方で記念大会をやるなんて、本当にウルティモ選手らしいです。
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ウルティモ そうですね。25周年を日本でも迎えることができて本当に嬉しく思ってますし、大会を前に物凄く興奮してますよ。可能な限り僕がプロデュースをして、当日見に来てくれたお客さんが「ウルティモ・ドラゴンの興行って面白いな」って思ってくれるような大会にしたいですね。この大会を通じて、ウルティモ・ドラゴン…浅井嘉浩という1人の男をこの世の中に出してくれたメキシコという国の魅力をみんなに知ってもらえたらと思っています。

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