2012年1月29日(日)『普天王引退 稲川襲名 披露大相撲』の開催決定! 稲川親方に聞く“これまで”と“これから”の相撲人生 [相撲]
2012年1月29日(日)『普天王引退 稲川襲名 披露大相撲』の開催決定!
稲川親方に聞く“これまで”と“これから”の相撲人生

■公演名:『普天王引退 稲川襲名披露大相撲』
■開催日:01/29(日)11時30分開始
■会 場:両国国技館
★詳細及びチケット申込みはコチラ!

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 普天王水(現・稲川親方)は1980年8月28日生まれ、熊本県玉名市出身。本名を内田水(うちだいづみ)という。
 初めて相撲に触れたのは小学校低学年の時だった。当時から身体の大きかった内田少年を見て、両親は「何かスポーツをやらした方がいい」と考え、相撲を始めさせたという。本人は「大会に出たらメダルをもらって、のぼせ上がってしまいました(笑)」と振り返る。
 力士になるのであれば1番を決める角界にできるだけ早く入った方がいいと考えた内田少年は、中学卒業と同時に入門しようとしていたが、「高校は卒業した方がいい」という両親の心配する声に促される形で、たくさんの力士を輩出している地元の文徳高校に入学。さらには名門・日本大学相撲部へと進み、アマチュア横綱にもなった。
 アマチュアで好成績を残した力士を優遇してデビューさせる幕下付け出しの制度で角界入りを果たし、出羽海部屋に入門。2003年1月に内田水の名で初土俵を踏む。わずか2場所で十両となり、普天王水に改名した。
 1年かけて入幕すると、2005年にはブログを開始し、大きな話題となった。同年5月場所では11勝4敗で敢闘賞を、続く7月場所では10勝5敗で技能賞をそれぞれ授賞。自身にとって最高位である小結にまで出世する。
 しかし、その後は苦しい闘いを強いられた。負傷の影響もあり、なかなか思うような相撲が取れない時期が続く。愚直に真っ向勝負を挑んでいたが、番付が安定せず、とうとう2010年には幕下に転落してしまう。それでも必死に前を向いたが、2011年の大阪場所が中止となったのをキッカケに引退を決意した。
 それに伴い、年寄・稲川を襲名することも決定。2012年1月29日(日)には両国国技館において『普天王引退 稲川襲名 披露大相撲』が開催される運びとなった。今回のチケットはイープラスでも取り扱っている。
 披露大相撲に向けて、普天王(現・稲川親方)はどんな気持ちでいるのか。現在の心境を聞いた。

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現役時代を一言で表すなら……、
やっぱり『真っ向勝負』ですね。

――今回のタイミングで引退を決意した理由は何だったのでしょう?
「2011年大阪場所の開催中止が一番大きかったですね。その頃、私は幕下に落ちていたのですが、応援してくださる方もいらっしゃって、復活して番付を戻したいと願っていました。ですから次の場所が早く来て欲しかったのですが、それが中止となり2ヵ月に1回の場所が無くなって、そこで緊張した気持ちが途切れてしまいました。
それがキッカケでしたが、こんな状態で土俵に上がるのは無理だし、気持ちが乗っていない状態で相撲をするのは、応援してくださる方々に失礼かと思いました」
――悔いはなかったのですか?
「それはないですね。自分の気持ちが途切れる前日まで一生懸命に稽古していましたが、決めた時は肩の荷が下りたというか、本当にスッキリして楽な気持ちになりました。もちろん申し訳ない気持ちもありましたが」
――最近のブログでは“現役時代の緊張感を思い出すと、気持ち悪くなる”と書いていましたが、それほどまで追い込まれるものなのですか?
「本当に追い込まれますよ。今は親方の仕事として本場所に行くのですが、自分の中に何も心労がないのです。逆に言うと、現役時代はそれだけしんどかったのだと改めて思います。命を削っていたと言ったら大袈裟ですが、それなりの覚悟で臨んでいましたから」
――他の格闘技であれば1ヵ月に1試合程度のペースですけれど、相撲の場合は15日間連続という特殊な部分がありますからね。1日だけならともかく、15日間常にMAXのテンションをキープするは不可能でしょう。
「個人差があると思うのですが、15日間常に同じ精神状態で臨むことは無理でしょうね。嬉しいことがあれば気分が乗るし、悲しいことがあれば落ち込む。それは勝負でも同じです。どうしようもなくて気持ちが乗らない日だってありますから」
――それをコントロールすることが求められるのでしょうね。この8年間の現役時代を一言で表すとしたら、どんな言葉を選びますか?
「難しいですね。いろいろありましたから……。でも、“真っ向勝負”ですかね。自分のスタイルはまさに“真っ向勝負”を実践してきました。立合い変化をしたことはないし、とにかく勝てればいいというわけでもなく、自分のスタイルで勝って番付を上げたいとの思いが強かったですから」
――正直、これまでにも辞めたいと思ったことはありましたか?
「過去に1度だけありました。プロに入ってすぐですが、首を怪我してしまったのです。身体はボロボロで動かないし、それでも相撲は取らねばいけない。稽古も休めないし……本当にきつくて、周りには言いませんでしたけど。ただし、相撲が嫌いになったことはなかったです」
――小学生の頃からずっと気持ちは変わらなかったと。
「そうですね。好きなことを好きなだけやって来れたという幸福感、充実感があります。
途中で脱落していく力士は多いと思いますが、私は7歳から始めて23年間ずっと好きなことを一生懸命やって来ました。それに関しては、支えてくれた人達に本当に感謝しています。ここまで好きなことをやれた人間ってなかなかいないと思いますから」
――辛いことや苦しいこともたくさんあったと思いますが、それでも“相撲が好き”と言えるなんて素敵なことですね。その分、いざ辞めることが決まった時はどんな風に感じました? 
「逆に言うと、相撲しかやったことがないから、何をしたらいいのか分からなかったのです。だから、これからが大変です。やりたいこと=相撲でしたから。今は、親方として部屋に残ることになりましたので後進を指導して、少しでもいい相撲をお客さんに見てらえたらなと思っています。引退相撲のこともありますし」

“もっと相撲を知ってもらいたい――”
その使命感からブログを始めたのです。

―現役時代はブログ力士としても有名でした。ここまで話していただいたような素直な心境を、現役時代にブログで綴っていたことが人気の秘訣だったと思うのですが、なぜブログを始めようと思ったのですか?
「当時はまだブログ自体が広まり始めたばかりの時期でしたが、友人に“始めてみたら?”と提案されたのです。一般の方からすると相撲は格式高いイメージがあるじゃないですか。そこを越えて、見ていただくためのキッカケ作りになればと思って始めたのです」
――当時はまだ20代前半だったのに、それだけ“相撲を見てもらいたい”という意識が高かったのですね。
「これはもう、人との繋がりです。自分がいくら“こうしたい”と願っても、アイディアを出してくれる人が周りにいなかったら実現しなかったでしょうから。それはブログの件だけではないので、本当にいい仲間を持ったな、いい人達に巡り会えたなと思いますよ。
良く“類は友を呼ぶ”と言うではないですか、日頃の自分の行いというか、自分の意識や生活、それらが、いろいろな方々を呼んでくるものと思っています」 

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――それだけ気持ちの中に伝えたいことがあったと。
「そうですね。意識が高かったかどうかは自分では分かりませんが、自分たちがやっていることを見てもらいたい、少しでも伝えたいという気持ちが形になったのがブログだったと思っています」
――ただ、始めた当初は反発もあったのではないですか?
「いえ、それが何も言われたことがないのですよ。怖いぐらい全くなかったです。反対に“いいことをやっているな”と言ってくれる人が多かったです」
――場所中も連日更新されていましたが、やはり精神的に書くのがつらいこともありました?
「場所中は必ず更新していましたが、やはりしたくない時もありました。でも、使命感でやっていたところがありました。自分個人を見てもらいたいだけなら“どうでもいい”との気持ちになっていたかもしれませんが、相撲を知ってもらいたい、相撲に興味を持ってもらいたいという使命感があったからこそ続けられたと思っています」
――時には顔文字を使ったり、流行ったギャグを取り入れたりしていて、今読み返してみても、“何かを伝えよう”という思いがヒシヒシと感じられました。
「現役時代、ページビューが20万アクセスぐらいを保っていた時もあり、いい活動ができたなと思っています。興味付けになったと思うし、見てくれていることが自分の支えにもなって、アクセスが伸びている時は楽しくブログに取り組めました。今後は何か違う形で現役の人達が発信して欲しいなと願っています」

今後、伝統文化を伝えていくのであれば、
相撲協会から発信しなきゃいけないのです。

――今まで経験してきたことがこれからの活動にも活きてきそうですか?
「根底にはずっと“相撲を見てもらいたい”という気持ちがあります。むろん、まず自分が一番先にやらねばならないことは後進の指導です。指導した子たちが少しでもいい相撲を披露してお客さんに喜んでもらえたら嬉しいじゃないですか。そういう取り組みが少しでも増えるように指導していくのが今後の課題ですね」
――それと同時に相撲界から発信もしていくと?
「相撲協会の在り方として、“伝統文化を伝えていく”という意味では、もっとできることがあると思っています。今の時代、受け身ではなく自分たちから売り込んでいかねばならないのかと。以前なら“お相撲さん!”と向こうから寄ってきて戴けた時代もあったと思いますが、今は違います。だから積極的に活動していけば、そのぶん認知されるだろうし、盛り上がると思うのです。例えばこの前、慶應大学の藤沢キャンパスに行って、スポーツマネジメントを学ぶ学生たちに講義をしてきました。今回は知り合いから依頼を受けてやったのですが、そういうことも協会から売り込んでいけばもっとできると思うのです。
若い世代はもちろんのこと、他の世代も対象にして発信していかねばという考えが自分の中にあります」
――ちなみにどんな講義をされたのですか?
「学生さんたちに“あなたがもし財団法人相撲協会の広報部に所属したら、どういう方法で相撲を広めていきますか?”という課題を出して、みんなに意見をもらいました。1年生から4年生まで凡そ150人ぐらいの学生がいたのかな。まったく相撲に興味がない人に“どうしたら相撲を見たくなるのか?”を考えてもらうなんて、どんな意見が出てくるか楽しみじゃないですか。それを纏めて、そのまま協会に持っていこうかと思っています」
――新しい時代を迎えて、相撲業界も転換期に差しかかっているのですね。
「同じ人が考えていても、やはり同意見しか出てきません。他の人達に話を聞かなくても良かった時代がありましたが、今は、変わっていく必要があると思っています。
相撲に限らず、サッカー、野球でも、お客さんの入りは厳しくなっていますが、相撲は特に苦戦しています。だから自分の方から動く必要があるのだと。いろいろな人と触れ合って初めて分かることもあり、今回の講義も物凄く面白くてやって良かったと思っています。こういう機会を増やしていきたいですね。知ってもらわないことには始まらないですから」
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――守っていかなければならない伝統がある一方で、変化も求められる。難しい問題ですよね。
「方針をどうするかですね。例えば、相撲文化を伝えるだけならお客さんからお金を取る必要もないと思います。変な話、大きいスポンサーを得て、無料で相撲を見せる形でもたくさんの人達に伝わりますから。どこにコンセプトを置くかが問題だと思っています」
――やり方次第だと。
「はい。例えば老人ホームでお年寄りを相手にすると、相撲はすぐにわかるからとても喜ばれます。そういう活動をもっとしてもいいですし、さらにはファン感謝祭を実行して、そこで得た収益を被災地に寄付したらいかがかと。それって最高ではないですか。そのようにドンドン協会から発信していってもらいたいと思っています」

断髪式では感極まって泣いてしまう人も多いのです。
でも、自分は悔いがないですから、たぶん……。

――引退相撲が迫ってきました。今が一番お忙しいのでは?
「そうですね。チケットを買ってもらうために活動をすること自体が初めてなので、身に染みていろいろと勉強させてもらっています」
――今までとはまったく違う忙しさですものね。
「そうですね。今までは稽古をやっていればいいという感じだったのですが、今は皆さんに“見に来てください”と呼び掛けるのが主な活動ですからまったく違います。それだけ充実している部分もありますが、今の時代に自分だけの興行なので、特に大変だなと実感しています」
――引退相撲と聞くと、断髪式だけなのかなと思いがちですが、他にも様々な催し物があるのですね。
「中心は自分の断髪式ですが、それ以外にも取り組みも行われますし、本場所の相撲では見られない初切(しょっきり)や相撲甚句(すもうじんく)、髪結実演も披露されます」
――具体的にはどんな内容なのですか?
「初切は相撲の禁じ手を面白おかしく披露してくれます。これをやってはいけません……例えば、相手の髪を引っ張ってはいけないとか、武器を使ってはいけないとか」
――なんとなく相撲のルールは分かりますけど、案外細かい禁じ手を知らない人は多いですからね。
「それをコミカルと言ったら変ですけど、分かりやすく見せています。禁じ手を理解しながら見ていただければ、相撲の見方も変わってくると思いますよ」
――そして、相撲甚句というのは?
「昔から代々伝わる相撲の歌を披露します。甚句会というのがあって、一般の人もやっているのですが、今回は力士が順番に歌います。節回しが独特で甚句ならではなんですよ」
――“どすこい、どすこい”という合いの手が面白いのですよね。続いて、髪結いの実演は?
「力士がテレビに映っている時間はだいたい髪の毛を大銀杏にしていますよね?」
――先端が銀杏の葉に似ているからそう呼ばれているのですよね。
「はい。その髪型を結っていく様子というのは普段支度部屋でやることなので、滅多に見られません。それを土俵の上で見てもらうのです」
――こうやってお話を聞いているだけでも興味深いですね。
「相撲にはいろいろと細かいことがあります。皆さん、なんとなく知ってはいても詳しいことは分からなくて、“これって何なの?”と感じていると思うのです。例えば、“塵を切る”って分かりますか?」
――土俵の上に座って、手を合わせてから両手を広げる動きのことですよね?
「そういう所作がたくさんあるじゃないですか。礼をして、塵を切って、四股を踏む。そういう全ての動作に意味があるのです。それが分かっていただけるようになると面白いのではないかなと思います」
――最後に断髪式が行われますが、その時どんな心境になるとご自分では思っていますか?
「まあ、やったことがないですし、最初で最後の経験だから今は分からないですね(苦笑)。結構感極まって泣く方が多いのですが、自分では絶対に泣かないつもりでいます」
――ある意味、そこも見所になりますね(笑)。
「こればっかりはどうなるか分かりませんね。むろんいろいろありましたが、現役を退くことに関して全く悔いがないので、泣かないだろうとは思っています」
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生まれ変わっても相撲をやるでしょうね。
今でも“どこを直そう”って考えちゃうんですよ。

――稲川親方にとって相撲の面白さとは?
「やはり見ていて、ハラハラドキドキするところですね。いい一番というのは、見ている方も力が入ってしまいます。それを見たら、誰だって“頑張っているなあ”と感じますね。そうしたら応援したくなるのです。だから、どこを見て欲しいという部分があるのではなく、一生懸命頑張る力士たちを応援して欲しいなと」
―― 一生懸命に真っ向勝負を続けてきたことで人の縁が生まれ、現役を辞めた後も続いていき、今回の引退相撲にも繋がっていく。とても素敵な相撲人生ですね。
「本当に相撲を頑張ってきて良かったなと今でも思います。いろいろなことがあったからこそ、いろいろな人に出会えましたしね」
――もしもう一度生まれ変わったとしたら、それでも相撲をやりますか?
「同じ自分だったらやるでしょうね。ちょっとこの部分を直そうとか、あのやり方を修正しようとか、今でも考えちゃうのです」
――未だにそうなんですか?
「最初からこういう形で相撲をやるのではなく、別の形にしようなんて思ったりします。それに力士の体型にはあんこ型(太った体型)とそっぷ型(痩せた体型)があるのですが、そっぷ型の相撲を今度は取ってみたいなとも思います。そうしたら、まあまあ人気が出るかなとか、売れるかなとか考えてしまいますね(笑)」
――本当に相撲がお好きなのですね。
「自分がやってきたのがたまたま相撲だっただけで、だからこそ好きなのです。こうやって長くやって来れたので皆さんに知ってもらいたいと思っていますし、もし別のジャンルだったら、そのジャンルを長くやっていたと思いますよ」
――このインタビューの読者には、“相撲に興味はあるけど、生で観戦したことはない”という方が多いと思います。そういう皆さんに『普天王引退 稲川襲名 披露大相撲』に向けてメッセージを。
「相撲をテレビで観戦された方は大勢いらっしゃいますが、力士と力士のぶつかり合いは『生』で見て『音』で感じて、だと思っています。ですから国技館に足を運んでいただけたらと願っています。ぜひ『生』の相撲を見てもらいたいですね。所作とか、理解できない部分も多いでしょうが、そのような相撲の文化にも興味を持って戴ければ嬉しいです。
1月29日は、ぜひ両国国技館で皆さまをお待ちしています」

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